12年4月、さいたま地裁の「裁判員裁判」で、交際していた男性などを次々に殺害したとして、木嶋佳苗被告に対する死刑判決が出たことを、覚えている読者も多いだろう。

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木嶋裁判以外の裁判員裁判での最近の死刑判決

裁判員裁判では、殺人、放火などの重い刑事事件を扱うだけに、最近では死刑判決が増えており、死刑が確定した事件もいくつかある。そうしたなか、「裁判員は法律の“素人”であるがゆえに誤審のリスクが高く、最悪の場合、無実の被告を死に追いやるのではないか。そうなったら、裁判員は法的責任を問われないか」と不安を感じる人もいるだろう。

結論から言えば、裁判員裁判で誤審が増えるというのは、杞憂にすぎないし、判決内容によって裁判員が民事上、刑事上の責任を問われることも考えられない。裁判員制度で冤罪はむしろ減ると私は考えている。そもそも裁判員制度は、閉鎖的になりがちな司法の場を国民の目でチェックすることで、裁判がより適正に行われることを狙ったものだ。

裁判官や検察官も、人間である以上、間違いを犯すことはある。ところが、裁判はプロの法律家同士のやり取りだから、ついお互いを過信してしまう。たとえば、裁判官は、被告や証人の言葉よりも、整合性があり説得力のある検察の調書のほうを重視しがちだ。まさに、冤罪の温床といっても過言ではない。そうした従来の裁判制度の弱点を補うために、裁判員制度は創設されたのだ。

裁判員制度が導入されてから約3年たつが、その間に法廷は劇的に変わった。裁判員が審理に参加するようになって、裁判官も検察官も弁護士も、誰にでもわかる言葉で説明するようになった。法律に対する国民の関心も高まり、裁判所が身近な存在になった。司法にとって大きな進歩だと、私は高く評価している。

裁判員裁判は3名の裁判官、6名の裁判員の合議制だ。「裁判員はマスコミの報道などで、予断を持ちやすい」という見方もあるが、評議では幅広い意見が交わされるわけだし、裁判官も加わるので、的外れな議論にはならない。評決も多数決になるが、裁判官1名以上が多数意見に賛成していることが必要で、結果が偏ることはない。そのうえ、判決内容は、3審制による2重、3重のチェックを受けるわけで、仮に裁判員に誤りがあったとしても、それが見過ごされることはないだろう。