「よい会社」構想のもと、人を育てることを基軸に斬新な人事制度を展開してきた富士ゼロックスが、今、大転換にチャレンジしている。はたしてどんなふうに古い殻を破ろうとしているのだろうか。

「変化と成長に挑む社員」を増やすには

富士ゼロックスといえば“人を育てる”ことを基軸に斬新な人事制度を展開してきた会社として有名だ。その会社が今、歴史的ともいえる企業風土改革にチャレンジしている。

人材育成の原点と言えるのが1992年度に当時の小林陽太郎会長が打ち出した「よい会社」構想だ。よい会社とは「強い」「やさしい」「おもしろい」の3つの要素からなり、強いは高い成長力と収益性、やさしいは環境への配慮や地域貢献を意味する。おもしろいは、社員一人ひとりがおもしろいと感じるワクワクするような仕事の実現と自己の成長を実感できる会社にしていこうというものだ。

しかし、それから20年。「昨今の悩みは、やさしい会社の解釈が社員に対してもやさしいと受け取られるようになってしまったこと。そうではなく今は何より強い会社にしていくための体質の転換を図らなければならない」(富士ゼロックス人事本部人事部・中里典夫人事グループ長)ことも風土改革の遠因になっている。

もちろん直接の契機はビジネスを取り巻く経営環境の変化だ。山田透常務執行役員(人事・労務・教育全般担当)は「成長と変化に挑む社員を増やしていく」ことにあると強調する。

「この10年間を見ると、売上高は大きく伸びてはいません。持続的な成長に向けてより加速させていくには、従来の延長線上ではなく、抜本的に仕事のやり方を変えていくことで成長と変化に挑む社員を増やしていく必要があります。たとえば、営業で言えば、単なる複写機の販売だけではなく、お客様のとくに経営層に食い込んでニーズを探って提案するサービス&ソリューションができるようになることが求められています。さらに中国、タイ、ベトナムなどの海外市場の競争に打ち勝つには、日本とは異なるお客様のニーズをしっかりと汲み取ってビジネスを展開できる人が求められています」

じつは経営体質の改善は今に始まったことではない。2004年度から06年度までの達成を目指した「V06」と呼ばれる全社構造改革を実施している。V06はコスト競争力、営業力、技術力、組織競争力、事業競争力の強化を掲げ、組織・人事面でも大胆な改革が実行された。たとえば約400あった部門の半数を削減し、その結果、約200人の部門長が降格されたほか、当時13あった階層を大幅に削減し、組織のフラット化も断行された。

それだけでは終わらなかった。V06以降、「経営革新I、II、III」と断続的な改革が相次いだ。Iではフロントラインの強化と業務生産性の変革を実現するために、09年、生産開発部門を含む非営業職の間接部門の人員約2400人を営業現場に配置転換した。従来の複写機の販売からソリューションの提案営業型への転換という狙いがあった。

経営革新IIでは開発・生産機能の再編・強化を掲げ、10年に4つの開発と生産部門の子会社を2社に再編・統合し、同時に本社の開発機能の一部を子会社に移し、社員を転籍させている。さらに経営革新IIIでは顧客の問い合わせなどを担当する販売事務・販売経理、コールセンター部門を一つに集約した新会社を設立し、社員を転籍させている。

部門の再編・強化に伴う社員の大幅な異動は当然、摩擦も生じる。間接部門の営業部門への配置転換では「フロントラインの業務が合わないということで会社を去った社員もいた」(中里人事グループ長)という。V06以来の経営体質の強化策は奏功し、同社の今期の売上高営業利益率は8%台にまで回復している。

一連の事業構造改革では人件費構造改革も実施されたが、見逃せないのが06年以来の報酬制度の抜本的見直しだ。同社は99年に従来の職能等級制度から「役割グレード」制度に変えた。職能等級制度とは簡単に言えば、新入社員から一人前になるまでどのような職務遂行能力が求められているかを段階的に定義し、社員がその基準に合致すれば昇格し、給与が上がる仕組みだ。

ただし、能力は長く仕事に従事すればよほどのことがない限り伸びるものであり、結果的に年功的給与体系に近いものになってしまう。それに対して役割給制度は「仕事の中身」を基準にする。年齢や能力に関係なく、本人が果たすべき職務や役割に着目し、役割グレードごとに給与ランクを設け、同一の役割であれば給与も同じにするというものだ。導入当初は年功色を払拭する画期的な制度として注目された。

しかし、実際の運用はうまくいかなかった。

「結局、職能等級の運用に近いものになってしまったのです。現場サイドでは『彼はグレード5で2年ぐらいやったからそろそろ6にしてあげてもいいんじゃないか』という運用にどうしてもなってしまう。これではいかんということで役割基軸を徹底しようと06年に改革したのです」(中里人事グループ長)