結婚、留学、単身赴任、育児を乗り越えて
富士ゼロックスといえば20年以上も前から、育児休職制度や育児退職者再雇用制度、旧姓使用許可制度など女性に優しい人事制度を、世の中にさきがけて実施してきた企業である。
そもそも会社設立の翌年1963年には四大卒女性社員の採用を開始し、4年後の67年には女性営業職を導入した。男女雇用機会均等法の施行が86年であることを考えれば、富士ゼロックスの取り組みがいかに先進的であったかがわかる。
「最初から総合職や一般職といった区別もなく、男女とも同じ土俵で仕事に向かっています」(人事部・釈河野毅)ということだ。
その中で、女性のトップランナーとなっているのが、インターナショナルマーケティング営業部部長の鏡久賀(ひさが)だ。細身の体で、柔和な表情を絶やさず、しかし話は筋道だっていて無駄がない。この営業部は外資系企業を担当し、鏡には女性10人を含む23人の部下がいる。
鏡は79年に東京女子大学を卒業し、「長く勤めるなら、ここだ」と富士ゼロックスに入社した。立川営業所を皮切りに、中央営業事業部で当時最先端と謳われたパソコンの販売に従事する。
入社2年後には学生時代から付き合っていた男性と結婚。仕事に家庭にと忙しい日々を過ごす。ちなみに鏡は旧姓のままである。気が付くと、88年には「マーケティングサポートスペシャリスト」という女性営業支援部隊のリーダーになっていた。
「20代の女性が大勢いて、途方に暮れました」という鏡は、89年から1年間、早稲田大学大学院に国内留学し、「中間管理職をサポートするラインマネジメント」について学ぶ。実は、鏡は教育休職制度の利用第一号でもある。