1987年の多重失恋

村上春樹『ノルウェイの森』が発売された1987年秋、私は、主人公のワタナベ君がかよっていたとおぼしい大学の2年生でした。

日本文学研究者
助川幸逸郎
1967年生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、横浜市立大学のほか、早稲田大学、東海大学、日本大学、立正大学、東京理科大学などで非常勤講師を務める。専門は日本文学だが、アイドル論やファッション史など、幅広いテーマで授業や講演を行っている。著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『可能性としてのリテラシー教育』、『21世紀における語ることの倫理』(ともに共編著・ひつじ書房)などがある。最新刊は、『光源氏になってはいけない』(プレジデント社)。
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まもなくハタチになろうというのに、生まれてこのかた、彼女らしきものはいたためしがありませんでした。おまけにその夏、大学のサークルの先輩に告白してふられ、その先輩に紹介してもらったべつの女性にも、サヨナラされるという屈辱をうけていました。

先輩に紹介された女性にすっぽかされた日に、私はひとりで、デートコースに予定していた善福寺公園に出かけました。ボートを漕いで池のまん中までいき、舟ぞこにうつぶせになって不幸をなげいていたら、いつのまにかボートは岸にうちあげられました。顔をあげると、目のまえのベンチに、大学生らしいカップルが座っています。女の子は無遠慮に、私を指さしながら口をあけて笑い、男の子のほうは、こまったようなニガ笑いをうかべています。あのときの、いたたまれない気持はわすれられません。

そんな私にとって、直子や緑のような美少女に、向こうから寄ってきてもらえるワタナベくんは、妬ましくてたまらない存在でした。

「おなじ大学にかよっていて、としもおなじなのに、俺とワタナベの差はどこにある……」

そんなことをかんがえて鬱々としていたときのこと。書店でふと手にとった雑誌に、「直子の散歩に毎週つきあい、緑に請われたら、何もしないで一緒にいてあげるワタナベはとてつもなく優しい」という主旨の書評が載っていました。

「こんだけ役得をしておきながら、優しいとかいわれてるワタナベは、断固としてゆるせん!」

――ワタナベくんに対する嫉妬のあまり、すんでのところで、まだ購入もしていないその雑誌を、私はやぶり捨てそうになりました。