1987年の多重失恋
村上春樹『ノルウェイの森』が発売された1987年秋、私は、主人公のワタナベ君がかよっていたとおぼしい大学の2年生でした。
まもなくハタチになろうというのに、生まれてこのかた、彼女らしきものはいたためしがありませんでした。おまけにその夏、大学のサークルの先輩に告白してふられ、その先輩に紹介してもらったべつの女性にも、サヨナラされるという屈辱をうけていました。
先輩に紹介された女性にすっぽかされた日に、私はひとりで、デートコースに予定していた善福寺公園に出かけました。ボートを漕いで池のまん中までいき、舟ぞこにうつぶせになって不幸をなげいていたら、いつのまにかボートは岸にうちあげられました。顔をあげると、目のまえのベンチに、大学生らしいカップルが座っています。女の子は無遠慮に、私を指さしながら口をあけて笑い、男の子のほうは、こまったようなニガ笑いをうかべています。あのときの、いたたまれない気持はわすれられません。
そんな私にとって、直子や緑のような美少女に、向こうから寄ってきてもらえるワタナベくんは、妬ましくてたまらない存在でした。
「おなじ大学にかよっていて、としもおなじなのに、俺とワタナベの差はどこにある……」
そんなことをかんがえて鬱々としていたときのこと。書店でふと手にとった雑誌に、「直子の散歩に毎週つきあい、緑に請われたら、何もしないで一緒にいてあげるワタナベはとてつもなく優しい」という主旨の書評が載っていました。
「こんだけ役得をしておきながら、優しいとかいわれてるワタナベは、断固としてゆるせん!」
――ワタナベくんに対する嫉妬のあまり、すんでのところで、まだ購入もしていないその雑誌を、私はやぶり捨てそうになりました。