「なってはいけない光源氏」のモデルになった男
私は去年、『光源氏になっていけない』という本を出させていただきました。それを書いているあいだ、ある友人のことがずっと脳裏にうかんでいました。
その男――ここではSと呼んでおきます――は、高校の同級生でした。複雑な家庭にそだったらしく、父親と苗字がちがうのだといっていました。話術にたくみで、ひと好きのする顔をしていましたが、仲間の中心にいなければ気のすまないタイプだったので、同性うけはよくありませんでした。
そのかわり、女子にはモテていたようです。
「自分の生いたちの話をすれば、たいていの子は泣いてくれる。そうなれば、だいたいはこっちのものさ」
そんな風に、いつもいっていたのをおぼえています。
遊んでばかりいたせいもあり、高校時代のSは、私より成績は下でした。それなのに、1年浪人しただけで、彼は東京大学の理科一類に合格しました。
大学に入ってから、Sとは年に一度か二度会うきりになりました。あるとき、飲みながら話をしていると、Sの女性関係は、さらに華々しくなっていることがわかりました。
当時、春樹の『ノルウェイの森』がベストセラーになっていました。そこで私が、「お前、永沢さんみたいなことやってんだな」というと、Sは不機嫌そうに顔をしかめました。
「ちがうよ、ぜんぜんちがう。僕は自分のことを、まるごとうけとめてほしいだけなんだ。でも、なかなかそういうひとに出会えないから、こうやってさまよいつづけてる。」
私が返事に困っていると、Sはさらにつづけました。
「僕があの小説のなかでいちばん共感するのは、緑だよ。ほら、『私がショートケーキが食べたいっていったら、ショートケーキを買いに行ってくれて、こんなのいらないってそれを放り出したら、またかわりを買って来てくれる。そういう相手が必要なの』って、緑がワタナベにいうシーンがあるだろ。僕はあそこ大好きなんだ。緑がどれだけ寂しい子かがよくわかって。」