「『桃太郎』の暮らし」はいつおわったか

社会人向けの文学講座でお話をさせていただいたあと、受講者のひとり――春樹とほぼ同い年の女性――から、こんなふうにいわれたことがあります。

日本文学研究者
助川幸逸郎
1967年生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、横浜市立大学のほか、早稲田大学、東海大学、日本大学、立正大学、東京理科大学などで非常勤講師を務める。専門は日本文学だが、アイドル論やファッション史など、幅広いテーマで授業や講演を行っている。著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『可能性としてのリテラシー教育』、『21世紀における語ることの倫理』(ともに共編著・ひつじ書房)などがある。最新刊は、『光源氏になってはいけない』(プレジデント社)。
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「『桃太郎』の最初に、おじいさんは山へ柴刈に、おばあさんは川へ洗濯に行きました、って、でてくるでしょう? 先生のお話をききながら、あらためて考えてみたら、私が子どものころも、洗濯は川でやってたのよ。気がつかないうちに、わたしたちは、『桃太郎』の話ができたときからなん100年続いてた、日本人の暮らしをかえてしまったんだなあって。」

高度経済成長によってもたらされた、ゆたかさと便利さをひきかえにして、日本人は、伝統的な生活様式の大部分を失いました(失った、という自覚すらなしに)。けれども、去年より今年のほうが、ぜいたくに暮らせるのがあたりまえだったバブル崩壊のころまで、たいていの人は、なくしたものの意味を深刻には考えませんでした。

90年代のなかばをすぎると、もはや爆発的な経済成長はのぞめないことがあきらかになりました。このとき、多くの日本人が、

「日本がまずなにを目指すべきかについて、議論するための共通の基盤が失われている」

という事実に、はじめて気づいたのです。

若者と高齢者、地方と首都圏、従業員と経営者――そうした対立軸を解消するためには、

「どちらにとってもたいせつに思えるもの」

から出発しなくてはなりません。その出発点となるものが、高度経済成長の時代に失われたのです。それでも、経済が拡大を続けているあいだは、どちらのサイドもゆたかになるいっぽうだったので、対立そのものが目につきませんでした。経済のゆきづまりがはっきりするにつれ、解消しがたい矛盾があちこちからうかびあがったわけです。

晩年の三島由紀夫が右傾化していったのは、伝統的な生活様式の喪失にともない、日本人が共有する価値観がくずされるのを食いとめるためでした。60年代の段階で、事態の負の側面に気づくあたり、三島の明敏さはさすがです。かといって、三島の死から40年、グローバル化がすすんだ現在の日本が、三島の主張するようなナショナリズムでまとめられるとは思えません。