スーツと靴のブランドだけで経歴をあてられる

学生のころから、私は履歴書を書くのが苦手でした。

日本文学研究者
助川幸逸郎
1967年生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、横浜市立大学のほか、早稲田大学、東海大学、日本大学、立正大学、東京理科大学などで非常勤講師を務める。専門は日本文学だが、アイドル論やファッション史など、幅広いテーマで授業や講演を行っている。著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『可能性としてのリテラシー教育』、『21世紀における語ることの倫理』(ともに共編著・ひつじ書房)などがある。最新刊は、『光源氏になってはいけない』(プレジデント社)。
ツイッターアカウント @Teika27

とくに困るのが、「趣味・特技」の欄になにを書いたらいいかわからないことです。

「すきなこと」といったら、文章を書いたり本を読んだり映画を観たりになりますが、さいわいなことに、これらはいまでは「仕事」になっています。

もっと困るのが「特技」のほうです。じつは私は、小学生のときに父親から手相占いの手ほどきをうけ、いまではキャリア三十五年です。しかし、

「特技:占い。とくに手相」

などと履歴書に書いたら、あやしまれることは必定です。

私は、手さきも不器用ですし、運動もからきしだめなので、ほかに「特技」といえるようなものはありません。無理にさがすなら、

「まだお目にかかったことのない男性が身につけいるスーツと靴のブランドを、経歴を聞いただけであてること」

でしょうか。

たとえば、私より5歳年長で、学校は中学から大学まで慶応、現在は大手広告代理店の営業畑の幹部、という男性がいたとします。こういう人はたいてい、アメリカン・トラッドのブランドが御用達です。

この連載の一回目でものべたとおり、1984年前後に、日本社会には大きな変化がおこりました。アメリカの製造業が凋落していったのに対し、日本はバブルの好景気に突入、日米貿易摩擦は激化しました。

そうしたなか、アメリカのクルマやファッションは、日本人にとって輝きを失います。70年代までは、キャデラックやリンカーンに乗る「お金もち」はめずらしくなかったのに、80年代にはいると、

「成功者のクルマ=メルセデス・ベンツかBMW」

という図式が定着します。1976年から85年のあいだに、日本の輸入車の総量は20%のびたにもかかわらず、アメリカ車の輸入台数は8分の1に落ちこんだのです。

ファッションでも、アメリカン・トラッドは表舞台からしりぞき、日本のDCブランドや、アルマーニなどのイタリア・ブランドがメジャー化しはじめます。このため、私と同世代か、すこし年上の男性のなかには、

「84年以降、大学生や社会人になってからファッションにめざめたニワカではない」

ということをアピールするため、あえてアメリカン・トラッドにこだわり続けるひとたちがいます。そういう「服飾エリート」は、東京でいえば、麻布とか慶応だとかの高校を出ていることが多いのです(阪神圏だと甲南あたりでしょうか)。

反対に、イタリアもののスーツと靴できめている「いかにも」という感じの「いい男」は、大学はブランド大学でも、高校は地味な公立校の出身だったりします。

ちなみに私は、ハタチをすぎて服飾デビューした「真性ニワカ」です。少数派である「英国調オーダーメイド」の世界に逃げこんで、ニワカがばれないよう、カモフラージュにつとめています。