「ブランド」にはつよいが「服」にはよわい?
ところで、『世界の終わりと……』のなかで、主人公はブルックスブラザーズやポール・スチュワートといった、アメリカン・トラッドの服を着ています。この小説を書いていた84年から85年の時点では、春樹は時流の変化に気づいていなかったことがうかがえます。
1988年刊行の『ダンスダンスダンス』は、1983年を舞台にしています。「高度資本主義」ということばが、キーワードのようにあらわれるこの作品には、バブル経済にうかれる世相への批判がくりかえし語られます。作中世界を、出版時点から5年さかのぼらせたのは、バブルを出発点においてとらえようという意志のあらわれといえます。
『ダンスダンスダンス』には、メンズビギのシャツを着たおしゃれな美容師が登場します。主人公である「僕」は、ガールフレンドからもらったアルマーニのネクタイを締め、「僕」のかつての同級生で、いまは俳優になっている五反田君の愛車はマセラティです。
『世界の終わりと……』を書きあげたあと、1984年に生じた日本社会の変化を、春樹はみごとに掌握したのです。それにしても、ブランドイメージに関する春樹のリテラシーには、感服せざるをえません。
ただし、服好きやクルマ好きが、じぶんのこだわりを追いかけていくなかで、自然にトレンドをつかまえた、というのと、春樹の時代のとらえかたは違うようです。
『1Q84』でえがかれるのも、まさにバブルにむかいはじめた1984年の日本です。ヒロインの青豆は、ジュンコ・シマダのスーツとシャルル・ジョルダンのハイヒールを身につけて登場、アルマーニのスーツをまとったDV男に制裁をくわえます。
ジュンコ・シマダもシャルル・ジョルダンもアルマーニも、84年という時代をありありとよびおこす名前です。このラインナップは、春樹の「時代考証能力」のたかさを、あらためて立証しています。
けれども、ベッドの上にぬぎすてられているDV男のスーツの上着が、「いかのも高価そうなもの」と形容されているのは気になります。
アルマーニは、ふつうならメンズの高級スーツには使わない素材をあえてもちいることで、ほかのどのブランドのスーツともちがうシルエットを生みだしました。ですから、ベッドに放りだされたアルマーニのジャケットを見かけたら、「アルマーニだ!」と思うか、「よくわからない服だなあ」と思うか、どちらかのはずなのです。
春樹は、アルマーニのブランドイメージは熟知していても、アルマーニの服そのものをじっくり見たことは、あまりなかったと思われます。バブルが終わるころまで、服とクルマは、モテるためにはぜったいおろそかにできないアイテムでした。もともと「おたく寄り」だった春樹は、そういう「モテアイテム」と深くかかわるのが、ほんとうは好きではないようです。