人生後半を楽しく過ごすコツはあるか。落語家の立川談慶さんは「『なんとなく気が進まない』という予感を無視してはいけない。これは人生の黄昏時に差し掛かった者だけに与えられた一種の才能だ」という――。

※本稿は、立川談慶『人生は「割り勘」思考でうまくいく 60歳からの「人間関係・健康・お金」の不安を分かち合うヒント』(かんき出版)の一部を抜粋・再編集したものです。

「行きたくないな」は無視してはいけない

還暦を過ぎ、人生の黄昏時に差し掛かると、私たちはある種の特権というか、ある種の才能を手にします。

それが「予感」です。

いや、予感という名前の「長年の経験か肉体的な衰えに対する神様からのご褒美」かもしれません。

この「予感」は、特に人間関係においてその真価を発揮します。「この先、どうもうまくいきそうにないな」と感じた時、その予感は往々にしてズバリ的中するものです。

先日、私も“参加費高額パーティー”に「行きたくないなあ」と思いながらも参加してしまったのです(昔からの義理があったのです)。が、やはり案の定、独りよがりの人ばかりで、後悔することしきりでした。やはり、嫌なことは、頑として、やるべきではないのです。神様から「ほら、せっかくお前に予感させてやったのに、我慢して行くからこうなるんだよ」とお小言を食らったかのような気持ちになりました。

いや、これは誰が悪いというたぐいのものではなく、料理で言う「口に合わなかった」という現象でしょうか。楽しんでいる人たちを冷静に見つめながら、そう感じたものでした。

若い頃は、人付き合いや義理、体裁を気にして、気が進まない誘いにも無理をして応じてしまうことが多かったかもしれません。

しかし、還暦を迎えた今、私たちはもう、そんな不毛な努力をする必要はありません。これまでの人生で十分すぎるほど「社会性」を身につけてきたはずです。そろそろ、私たち自身の心と体が発する声に、もっと耳を傾けるべき時が来たのだと考えてみませんか。

酒を飲むシニア男性二人
写真=iStock.com/Masaru123
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私たち人類は、自分自身の感情や、他者との関係性における「割り勘」のバランスを冷静に見極める術を身につけてきました。そしてそれを「コミュニケーション」と呼んで大切な感性として育んできました。無駄な期待や依存は、関係性を歪め、私たち自身のエネルギーを消耗させるばかりか、地球規模で見つめてみたら環境破壊にもつながってしまいかねないのです。

「肉体的な衰え」という最強の免罪符

「嫌だな」と感じることに無理して参加することは、まさに自身のエネルギーを無駄に垂れ流す「もったいない」行為に他なりません。それは、感情的な「割り勘」において、自分だけが一方的に損をする状態です。

私が提唱している「かわいいサイコパス」(自分自身をあたかも一歩引いた場所から客観的に観察し、分析するような視点を持つということ)は、そのような不均衡を敏感に察知し、自らをそうした状況から遠ざける判断をさりげなく下します。

それは、決して冷淡なのではなく、むしろ、限りある時間とエネルギーを、本当に大切にしたいこと、心から楽しめることに費やすための、賢明な自己管理と言えるでしょう。

そう考えていくと、肉体的な衰えは、一見マイナスな要素に思えますが、実は「嫌なことをやらない」ための強力な言い訳を与えてくれるという、意外な恩恵にすら思えてくるはずです。

「足が痛くて失礼します」「ちょっと体調が優れなくて……」「このところ、年でしょうか、免疫が衰えてきていてすぐ風邪を引いてしまって」などといった言葉は、若い頃にはなかなか口にしづらかったものですが、還暦を過ぎれば、誰もが「仕方ないな」と受け入れてくれる、ある種の免罪符となるのです。

これは、長年生きてきた者だけが享受できる、ささやかな、しかし確かな特権と言えないでしょうか。

この「ありがたい言い訳」を上手に活用することで、私たちは不要なストレスから解放され、より多くの時間を自分自身の内省や、本当に価値ある活動に充てることができます。

例えば、気が乗らない飲み会を断って、家で好きな本を読んだり、趣味に没頭したりする時間を作る。これこそが、還暦からの豊かな生き方なのではないか、私はそう考えているんですよ。