「嫌なことはやらない」「疲れたら寝る」談志の教え

「だくだく」という落語があります。

泥棒がある長屋に盗みに入るのですが、そこにあると思った家財道具はすべて絵に描かれたもの。泥棒はそのまんま帰るのは悔しいと、盗んだ「つもり」で家財道具を全部風呂敷に入れて逃げようとします。それを見つけたその家の住人がなぎなたで泥棒を刺した「つもり」とします。そして、血が「だくだく」と出たつもりというのがオチ。

どうです、想像力があればどんな時でも楽しめることをこの噺が教えてくれます。

考えてみたらわが師匠である立川談志は、平気で約束時間を破ってもいました。ある日遅れてテレビ局の収録スタジオ入りした時などは、待ち構えていたスタッフ各位に「ここに来るまでが楽しかっただけ」と苦笑いしていたものでした。

「落語会に遅れること」も、もはや談志のキャラにもなっていました。私が前座の頃でしたか、上り時間が過ぎても談志はやってきませんでした。仕方なしに私が上がって申し訳なさそうに「お察しの通りです」と一言言っただけで会場は大爆笑になったこともありましたっけ。

「嫌なことはやらないほうがいいよ」「疲れたら寝ること」と、談志自身がサインを頼まれてはよく記していた言葉を、忘れないようにしたいと思っています。

還暦からの人生で、真っ先に手放すべきこと

翻って一般社会は、「待ち合わせには遅れてはならない」という掟が、当然のことながらのしかかってきています。いや、かくいう私もパンクチュアルで、待ち合わせ場所にはいつも30分以上前には到着しています。

そんな私も含めた常識人からしてみると談志の逸脱とも言える行為には、怒りというよりも「自由気ままに生きていいんだよ」というアンチ文明的なさわやかさこそあり、それがそのキャラクターにすらなってもいたのでしょう。

「談志ならしょうがねえや」という共通認識でした。

談志がサインにもしたためた「嫌なことはやらない」的な言葉は、感情に正直に生きるという談志自身の「潔さ」、つまりは「覚悟」にも近かったのでしょう。

無駄な付き合いを潔く断ち、自分にとっての心地よさを追求する、言ってしまえば粋な生き方が凝縮されています。当事者にしてみれば迷惑だったはずですが、きっとそれも織り込み済みだったものと推察しています。なかなかそんな生き方を全部コピーできませんが、「還暦からの私たちは嫌なことは頑としてやらない」と誓うだけでも、ストレスからは逃げられそうです。

還暦を過ぎると、残された時間とエネルギーの有限性を、より一層リアルに感じられるようになります。だからこそ、その貴重なリソースをどこに、どのように配分するかが、これまで以上に重要になってくるはずです。

「嫌なことは頑としてやらない」という選択は、単なるわがままや怠惰ではありません。それは、自分自身の心身の健康を守り、本当に大切な人や事柄に集中するための、極めて賢明な戦略になるというものです。

そしてその選択は、私たちを不必要なストレスから解放し、内なる平穏をもたらすはずです。その結果、その積み重ねが新たな知見や創造性を育む土壌となるでしょう。

還暦からの人生は、「どれだけ多くを経験するか」ではなく、「どれだけ質の高い経験をするか」へと、価値観をシフトしていくべきです。そしてその「質の高い経験」を追求するために、まず手放すべきは、自分にとって「嫌なこと」である、という結論に至るのです。