グリーンカレーに代表されるタイカレーは、インドカレーと並んで高い知名度を持つ。日本でレトルトのタイカレーを最初に発売したのが、醤油醸造メーカーのヤマモリ(三重県桑名市)だ。どうやって日本に広めたのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが、「タイカレー」の名付け親である三林憲忠会長に聞いた――。
「タイカレー」の名付け親であるヤマモリの三林憲忠会長
撮影=プレジデントオンライン編集部
「タイカレー」の名付け親であるヤマモリの三林憲忠会長

タイがとにかく好きすぎる「タイ馬鹿」の人

ヤマモリは1889年(明治22年)、三重県桑名市で創業した味噌、醤油の醸造メーカーだ。売り上げは263億8000万円で、従業員は763人(2022年)。

同社は醤油の製造販売から始めて、袋詰め液体ソース、レトルトのミートソースや釜めしの素などで業容を拡大してきた。同時に複数の国内大手メーカーからの生産委託を受け、地方の食品メーカーとして堅実に成長してきた。

大きな転機は2000年からだ。

タイにある工場で製造したグリーン、レッド、イエローという3種の「タイカレー」を日本で売り出したのである。そして、時間はかかったがタイカレーはヒット商品になった。当初、なかなか扱ってくれるスーパーはなかった。だが、「タイ馬鹿」と呼ばれた社長(当時 現会長)、三林憲忠が東奔西走してスーパーを訪ね、バイヤーに頭を下げて試食を勧めた。ヤマモリのタイカレーは少しずつ広まり、今や同社は桑名の調味料メーカーから、タイフードのヤマモリとして知られるようになったのである。

会長の三林は言う。

バカになって突っ込む情熱が売った

「グリーンカレーをタイでは『ゲーンキャオワーン』と言うんですよ。カレーなんて誰も呼んでません。日本のスーパーに並べようと思った時、ゲーンキャオワーンじゃ誰も買ってくれないでしょう。そこで、僕がタイカレー、グリーンカレーと名付けたんです。それまでタイカレーという言葉は世界のどこにもなかった。ところが、今ではタイの一部の人も、タイカレーと言うようになったのだから……」

三林が命名した同社のタイカレーシリーズは日本の同市場でシェア1位となっている。タイでの事業を着実に育てていき、タイ現地法人の売り上げは2010年からの10年で5倍に伸びた。

タイカレーがヒットしたのにはいくつかの要因がある。だが、最大のそれは“タイ馬鹿”と呼ばれながらも本物のタイカレーの製造販売に命を懸けた三林の情熱だ。情熱で押しまくって、バカになって突っ込んでいったからタイカレーを一般スーパー、コンビニの定番商品にした。利口そうな顔をして「タイではこのゲーンキャオワーンが人々に愛されています」なんて言ったとしても、日本ではウケなかっただろう。

「どうかヤマモリのタイカレーを食べてみてください」と訴え続けたから売れた。

情熱だ。情熱が売った。

そう伝えたら、三林は照れくさそうな顔になった。やっぱり、タイ馬鹿なんだな。