氷菓メーカー赤城乳業の人気商品「ガリガリ君」には、コーンポタージュ味やナポリタン味などの「変な味」がある。その狙いはどこにあるのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが開発担当者に聞いた――。(後編/全2回)
ガリガリ君「リッチコーンポタージュ」
写真提供=赤城乳業
ガリガリ君「リッチコーンポタージュ」

「ガリガリ君史上、最大のニュース! 最大の衝撃!」

コンビニが冷菓の主販路となったことは赤城乳業にとって追い風だった。同社はガリガリ君を携えて、関東の一メーカーから全国区の氷菓メーカーになっていったのである。また、コンビニ展開が主となってからは新商品をリリースする間隔が短くなっていく。

赤城しぐれからガリガリ君開発までは17年の年月がかかっている。だが、ガリガリ君の新フレーバーが出る間隔は当初は2年から3年、1990年代からは毎年になり、2000年代になってからは年にいくつもの新商品、新フレーバーが出るようになった。

さて、定番でありロングセラー商品になったガリガリ君にとって、大きなターニングポイントは2012年9月に出した新フレーバーの商品、「ガリガリ君リッチコーンポタージュ」だった。

当時、同社が出したニュースリリースには美文調のキャッチが書いてある。

「夏は、まだ終わらない! ガリガリ君史上、最大のニュース! 最大の衝撃!」

ポタージュスープと冷菓という衝撃の組み合わせ、そして美文調キャッチのせいもあって、コーンポタージュ味発売の事実はヤフーニューストップで7回掲載されるなど大きな話題となった。

きっかけは「そういうことじゃない」という客の声

ガリガリ君リッチコーンポタージュは人気が沸騰し、商品供給が追いつかず、3日後には一時販売休止せざるを得なくなった。販売を休止したという発表は東海道新幹線内の電光ニュースでも掲示されるという社会的なニュースになったのである。

その大ヒット商品を開発したのがブランドマネジャーの岡本秀幸である。

彼はこんな説明を始めた。

「当時、ガリガリ君の売り上げは右肩上がりで増えていっていました。すると売り場で商品を切らせるわけにはいかないから、目標を安定供給に設定せざるを得なくなったのです。開発の際は奇をてらうのではなく、『このくらい売れるだろうと想定できる味』を考えることになってしまった。するとお客さまからある意見が届いたのです。『あのね、ガリガリ君に期待しているのはそういうことじゃないんだ』って」

つまり、ガリガリ君を食べる人、話題にする人たちは「もっと攻めた商品にしてほしい」と考えていたのである。

岡本の話は続く。