原料の輸入ではなく、現地生産にこだわる理由
三林がタイカレーを作り始めたのは1999年だった。当初、製造工場は日清製粉と合弁で作ったミートソース工場を使わせてもらった。日本人の開発担当を現地に派遣し、タイの料理学校に通わせた。そうして、一から作り上げたのである。
「私が陣頭指揮を執りました。うちの開発担当は料理学校に通い、生のスパイスやハーブを石臼で擦って、手作業で現地そのままの味を再現したんです。
現在、当社以外でもタイカレーを出している会社はあります。しかし、輸入した原料で日本の工場で作っているところが多い。しかし、それでは本物のタイカレーの味は出せません。タイカレーの味は生のハーブでないとダメなんです。
例えばインドカレーなら、あれは乾燥スパイスですから輸入原料でもできる。けれどもタイカレーは生のハーブとスパイスがないとダメ。うちのタイカレーには本物の生のコブミカンの葉っぱが入っています。それがないとタイカレーになりません。実は今、日本でも栽培を始めているんですが、タイと日本では気候が違うから同じものにはならない。
大切なことですから、もう一度、言いますが、タイカレーと名付けたのは私です。これは間違いありません」
バイヤーに「こんなもの食えるか」と言われても…
ヤマモリがタイカレーを売り出したのは2000年だ。グリーン、イエロー、レッドの3種類を出した。しかし、当初はまったくと言っていいくらい売れなかった。
売れなかった理由は知名度がなかったことに尽きる。そして、扱ってくれる小売店も少なかった。
それでも三林は意気軒高だった。自ら販売促進に乗り出したのである。
「最初に買ってくださったのはタイへ行ったことのある若い女性たちでした。彼女たちはタイへ行ってわざわざ日本料理は食べないわけです。現地の安くておいしいものを見つけて食べる。そういう人たちが『ヤマモリのタイフードは現地の味がする』と買ってくれました。
一方、中年の男性たちは食に保守的な人が多く、『タイカレー? なんだそれ』で終わり。
私としては中年男性、つまり、おじさんたちに食べてもらわなければ、いつまでたってもタイカレーはマイナー食品で終わってしまう。そういうわけにはいかない。
あるスーパーに私は売り込みに行ったんですよ。そうしたら、バイヤーさんから『こんな緑の食べ物はいらない』って。こんなもの食えるかって言われてね。
そこで成城石井に行ったんです。出てきたのは30代の若い係長で、その人は『面白い』と言ってくれました。成城石井がまだ数店舗しかなかった頃です。成城石井から始まってクイーンズ伊勢丹、明治屋、紀ノ国屋と、新しいものを認めてくれるところに商談に行きました。私は陣頭指揮でした。うちのセールスマンも行きました」