※本稿は、プラド夏樹『フランス人の性』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
息子が事前に「初体験」をメールで知らせてきた
私がここ30年近く暮らしているフランスは、「性」にまつわる議論が盛んな国である。欧米各国の間では、「金の話は下品とされるが、セックスの話は堂々とする国(※1)」といわれるほどだ。
そんな国フランスで、私は、ここ数年間、フランス人はどのように「性」について考えているのかを日常生活の中で観察してきた。それだけではなく、外国人であることを大いに利用して、母国語だったら口にしづらい言葉を使って、セックスやそれにまつわることに関していろんな人々と話し合ってきた。
そのきっかけとなったのは、いわゆる日仏ハーフの息子の思春期と、それをめぐる家庭内でのゴタゴタだった。
どこの家庭にもあるであろう、平凡な出来事――息子の初体験である。それは、15、16歳のときだったらしい。なんで母親の私がこんなことを知っているかというと、息子が事前にメールで知らせてきたからである。
「心配しないで、コンドームするから」
とある週日の夜のことだった。夕食後、「これからディアンヌちゃんのうちに泊まりに行ってくる」と言い出した。中学生になってからというもの、週末、男友達の家に泊まりに行くということは頻繁になったが、それはあくまでも土曜日の夜、翌日は学校がないという条件下でのことだった。それに、女の子の家に泊まりに行くなんて、なんかおかしい。
しかし、外国人ママンである私が、日本の常識だけで物事をはかることはできない。いつも心のどこかに、「フランスではこういうこともあるのかも?」という思いがあり、とくに子どもの教育に関しては自信をもって断言できないことが多かった。そこで言った。
「ディアンヌちゃんのお母さんはそれでオーケーだと言ってるの? ちょっと、私が電話で聞いたほうがいいと思うわ。明日は学校もあるから早起きしなきゃいけないし。お母さんの携帯番号教えてもらってくれる?」
息子は携帯を取りに自分の部屋に行った。しばらくして、家の中がやけに静まっているのに気づいた。息子の部屋に行った。いない。
玄関に行ってみるとドアが開けっ放しだ。「逃げられた!」と思って通りまで走って出たが遅かった。もう家の前の通りにはいなかった。私が住んでいるのは坂が多いモンマルトルだ。私の足でメトロの駅まで走ったところで、最近、背丈が父親と同じくらいになった彼に追いつかないだろう。
「ずるい!」という怒りでカリカリして家に帰ると、携帯にショートメールが届いていた。
「ごめんね、ママン。でも、ディアンヌちゃんの家にお父さんとお母さんがいないのは今晩だけだから、どうしても行きたい。心配しないで、コンドームするから。明日はちゃんと学校行くね」
最後にニッコリ笑う絵文字がついていた。翌日、息子はいつもと同じ時間に、いつもと同じ表情で帰ってきた。