SNSで私生活を切り売りするブロガーたち。ライターの宮崎智之氏は彼らへの違和感を新刊『モヤモヤするあの人』(幻冬舎文庫)で考察した。これについてネットニュース編集者の中川淳一郎氏は「『セックスレス離婚』など承認欲求をギラつかせながら私生活を垂れ流すウェブ有名人が増えている。その迷惑を被るのは子どもたちではないか」と指摘する。2人の対談をお届けしよう――。(後編、全2回)
ネットニュース編集者/PRプランナーの中川淳一郎氏(左)とライターの宮崎智之氏(右)

リア充に発見されてしまった「ライター」という職業

【宮崎】前編では、SNSを見ていて感じるモヤモヤの話題から、インフルエンサー、顔出しして「共感」を拡散する読モライター(読者モデルのようなライター)たちに関する議論へと発展していきました。

中川さんのお話を聞いて思ったのが、SNSの登場によって、ライターという職業が「リア充」たちに発見されたのではないか、ということです。

僕も業界のことをつぶさに知っているわけではないので、正確な史観ではないかもしれませんが、僕が中・高生のころのイメージでは、たとえば青山正明さんであるとか、村崎百郎さんなどといった、ものすごい業を背負ってしまった仄暗いハズれ者たちがライターになっているという印象がありました。

彼らの仕事に対する評価はひとまず置いておくとして、少なくとも世の中に対してうまく折り合いがつけられないようなタイプの人たちが、雑誌などで活躍していたという記憶が残っている。ただ、今はそういうイメージは薄くなっているように感じます。まともな印象の人が増えたといえばそれまでですし、リア充の方たちにライターという職業が発見されたこと自体は、別に悪いことではないと思っていますが……。

【中川】今、ライターをやっているリア充は、昔ならイベント企画会社とかを立ち上げていたようなタイプの人たちですよね。それにしても、宮崎さんが作った言葉である「読モライター」が属する「芸能」のジャンルには、有吉弘行さんやマツコ・デラックスさんなど、Sランクにすごい人たちがいっぱいいるのに、なぜその厳しい世界で戦おうとするのか不思議でなりません。しかも自分より若くて、美人だったりイケメンだったりする読モライターが、後から続々と参入してくるような状況なのに。

何も持っていないから「自分」のことしか書けない

【中川】こういう対談をすると、「宮崎は若いのに、中川みたいな年寄りに媚びやがって」と批判するヤツが絶対に出てくると思うんですけど、物書きは年を取っても筆力は伸びる可能性があるのだから、ライターを続けたいなら「芸能」路線ではなく「物書き」路線でいくほうが間違いなく堅実なんですよ。

【宮崎】インフルエンサーも読モライターも、ライフステージによってキャラクターを変えていけば、生き残っていけるかもしれません。でも、それってやはり「芸能」の仕事ですよね。たとえばですが、ママ読モライターにキャラ替えしたとしても、ママタレントと競合するわけで、その厳しさは変わらない。自分自身を売り物にするということは、そういうことなんだと思います。

あと、自覚的に自分自身を売っているならいいのですが、自分の専門分野や文化的背景、独特な切り口、または職人としての高度なスキルを持っていないから、結果、コンテンツを発信しようとすると「自分自身」のことを書くしかない、という事態に陥っているライターも散見されます。僕が懸念しているのは、昨今、読モライターのイメージがあまりにも前景化したため、それがライターの職業のすべてだと思い込み、リスクやデメリットを考慮せず、キラキラしたように見える彼らを無自覚に目指してしまう人が増えていく恐れがあるのではないか、ということなんです。