「ウィンウィン」で創薬型企業へ活路

単品で年間売上高が1000億円を超える薬を、業界で「ブロックバスター」と呼ぶ。大ヒット作のことで、そのブロックバスターに、塩野義製薬などが販売する高コレステロール血症の治療薬「クレストール」が、2014年度になった。日本で8つ目。「クレストール」を巡っては、先々代と先代の社長が全く方向が違う決定をしたが、どちらも「英断」だった、と思う。その決定を受け、双方の推進役を務めた。40代の前半、経営企画部長のときだ。

80年代から研究し、合成した化合物から生まれた薬だ。ただ、先々代の塩野芳彦社長は「薬効の高さから、必ず世界で使われるようになる。でも、塩野義自身に、グローバルな販売力はない」と割り切り、98年に全世界での開発・製造・販売権を英社に売却。世界中の売り上げから得る特許使用料で潤う道を、選んだ。

塩野義製薬社長 手代木 功

当時、抗生物質の競争力と国内随一と言われた営業力で、株式市場で「超優良企業」とされてきた塩野義も、抗生物質の開発競争と値下げ圧力の下で、先行きに懸念を抱いていた。一方、英社は、販売権も含めた全世界での製造・販売権でないと買わない、という。このとき下した決断で、「クレストール」から得る特許使用料は、いま年に数百億円規模。収益や研究開発を支える柱となった。

その先々代が翌年夏に体調を崩し、急きょ、同じ創業家一族で専務だった塩野元三・現会長が後を継ぐ。それから2年余り、社長室に国内大手製薬の社長から電話があり、「クレストール」の国内販売権の獲得に乗り出すと「通告」が入る。両社長がかなり親しかったこともあるが、「クレストール」の開発元に敬意を表して、「仁義」を切ってきたようだ。

当時、会社は不採算事業の売却や希望退職など、会社の立て直しに踏み切っていた。「選択と集中」「破壊と創造」を旗印に、バブル崩壊後の暗雲を振り払う企業が続くなか、塩野義は出遅れていた。そこで、事業ごとに強みと弱みを分析し、社長が手がけた植物薬品、動物薬品、工業薬品の事業や薬品の卸業も、売却の対象とする。