航空連合の加盟で役員会を仕掛ける
1999年10月、ANAは3年目を迎えた世界初の国際航空連合「スターアライアンス」に、9社目として加盟した。その実現に動いた1人で、社長室グループ経営推進部の主席部員、44歳のときだった。
当初、推進派は、ごく少数だった。海外勤務や国際営業の経験を持つ役員は限られ、国際連携の利点を、なかなかわかってもらえない。経営のキーパーソンの中には「わが社に、そんな国際連合に入って成果を出せる人材など、いない」と公言し、断固反対を唱える人もいた。
そのころ、同じ経営推進部の主席部員だった篠辺修・現全日空社長や同期の仲間たちと、ブランド力の重要性などについて、勉強会を開いていた。当然、加盟の是非も、話題になる。篠辺氏は推進派で、加盟の意義について、社内で大演説をぶった。では、自分はどうか。
ANAは、90年代に国際線を拡張した。でも、人員も飛行機も足りず、さらなる大展開は、独力では難しくなりつつあった。スターアライアンスへの加盟は、そうした限界を乗り越え、不足を補いつつ戦線を強化していくのに、絶好の道だ。翌2000年には、航空運賃が認可制から届け出制に変わり、競争の激化も予想される。そうした広い視野で考えて、加盟の推進を支持した。
あるとき、アライアンス室の人間とかたって、上司の承認も得ずに、役員会をセットする。役員会は、沸騰した。ただ、シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」でも、ブルータスの演説の中で大勢が「そうか」と思うせりふが出て、ムードが一変して決まる場面がある。そう思っていたら、ある役員が「加盟しないと、人も育たない」と指摘した途端、流れが変わる。社長も加盟支持を明言し、決まった。