赤字からの再浮上、起業の精神てこに

1993年9月、通信衛星を使って大学受験予備校の授業を配信するフランチャイジー(加盟予備校)が、全国で300に達した。2年半前に衛星の中継器を借り、直営の全校舎に送信するシステムを稼働させ、1年たって系列外にも配信するフランチャイズ方式に踏み切った。それからわずか1年半で配信先が増え、苦境に陥っていた経営が再軌道に乗る。45歳になる直前のときだ。

ナガセ社長 永瀬昭幸

東京・吉祥寺に持つ小中学生向け進学塾に、高校生向けの受験予備校「東進ハイスクール」を併設したのが85年4月。進学塾を出て高校に入った「卒業生」からの「高校生向けにもやってほしい」との声に、軽く応えた形だった。でも、手応えは強く、3年後には浪人生向けに試験的に開く。すると、いきなり200人も集まり、収益性も高かったので、一気に首都圏に展開した。その年の暮れには、株式を日本証券業協会の店頭銘柄として公開もした。

浪人生向けは、「御三家」と呼ばれた大手3校が先行し、競争は激しい。それを承知で飛び込んだのは、その先にやってみたい事業が、いくつもあったからだ。起業家の血が、沸き立っていた。

軌道は、順調に高度を上げていく。日本中がバブルに踊り、どの業界でも投資が過熱し、東証平均株価が4万円近い最高値を過ぎた90年には、東進ハイスクールも全国で7校、受講生は計1万人を超えていた。大阪への本格進出も決め、「91年に10校、浪人生3万人を集める」との目標も掲げ、広告に30億円を投じた。

ところが、大阪校の建設が遅れて、テキスト配布のトラブルも起き、バブルがはじけるなかで借入金が膨れた。受講生も、目標の4分の1しか集まらない。93年3月期には、営業損益が5億円を超す赤字へ転落した。この失敗で、照準を再び現役の高校生に戻し、受講時間が限られる高校生向けには生の授業ではなく、人気講師のビデオ提供に切り替えていく。