総理大臣の被災地視察とは、観光旅行ではない。東日本大震災当時、被災地へ視察に訪れた菅直人は相変わらず、総理大臣の職責を理解していないようだった。被災地に何の利益ももたらさず、視察受け入れの自治体や企業に多大な迷惑をかけ、訪問を受けた被災者に不快感を残すだけだった。

『孫子の兵法』飯島勲著 プレジデント社

東日本大震災発生後、最初の総理視察は、事故の被害拡大の引き金になったとの見方も大きい、福島第一原発の現地視察だった。

総理大臣が官邸を離れ、地方を視察する際には、当番の秘書官、SPのほか、関係省庁の担当者など数十人単位の人間が随行する。現地でも警備担当者、案内を担当する自治体や企業の幹部など100人規模で動員されるのが普通だ。たった20分の視察だとしても、現場の側で準備にどれほど時間が必要かは、少し考えればわかりそうなものではないか。被災者の心情をまるで理解していない。

しかも、福島第一原発では、一瞬の気の緩みも許されない事故の対応に当たっている現場に総理の相手をさせることを強いたのである。時間の無駄以外の何ものでもない。視察を強行した結果がどうなったかを、いまでは世界中の人々が知っている。

2006年の中越地震の際、私が首席秘書官として仕えていた小泉純一郎元総理も、被害の大きかった長岡市と小千谷市の視察を行っている。地震発生から3日後、政府の大まかな復興計画がまとまり、現地の状況が落ち着くのを待っての出発だった。小泉元総理は被災者の集まる避難所で、被災者らの話を聞き、ヘリコプターに乗り、上越新幹線の脱線事故現場と、道路が寸断されて孤立した山古志村を上空から視察した。

予定のスケジュールを終えて、報道陣のぶらさがり取材に応じ「できるだけ早く元の生活に戻れるようにしてほしいというのが被災者の皆さんの切実な願いだと思います。今後とも政府のみならず、関係自治体と協力しながら対策を講じたい」と話した。さらにその場で小泉元総理は、山古志村や小千谷市で起きた土砂崩れによる河道閉塞で起きた浸水被害に対し、床上浸水300万円、床下浸水200万円を見舞金として一律に給付することを決断し、発表したのだ。現地の住民が大いに歓迎したのは言うまでもない。