琵琶湖畔に古い城下町が今も残る

秀次は同時に、近江八幡の町を見下ろす標高272mの鶴翼山に八幡山城を築城。その南麓には居館を構える。現在は八幡公園として整備されている広大なエリアに武家屋敷が並んでいた。

「近江八幡惣絵図」(近江八幡市立資料館所蔵)
「近江八幡惣絵図」(近江八幡市立資料館所蔵)(写真=ブレイズマン/PD-Japan/Wikimedia Commons
秀次館跡の石垣
撮影=今泉慎一(風来堂)
奥まったところにある秀次館跡の石垣
公園内で最長の十数mの石垣
撮影=今泉慎一(風来堂)
公園内で最長の10数mの石垣は、秀次館とは別の場所に
家臣たちの屋敷が並んでいた大手道
撮影=今泉慎一(風来堂)
家臣たちの屋敷が並んでいた大手道

直線的に延びる大手道と、その脇にズラリ並ぶ家臣団の屋敷は、安土城のそれにそっくりだ。秀次館跡からは、秀次が馬印に用いた「沢瀉おもだか」が図案化された金箔瓦も出土している。秀次がどこまで「天下人」を意識していたかは不明だが、信長にならう気持ちはあったはずだ。

八幡公園の秀次像
撮影=今泉慎一(風来堂)
八幡公園に立つ秀次像