血で血を洗う戦国時代の純愛
第21回:勝龍寺城(京都府長岡京市)
『麒麟がくる』しかり、『どうする家康』しかり。昨今の戦国時代をテーマにした大河ドラマでは、合戦のスペクタクルよりも人間ドラマに重点が置かれているように思える。「豊臣兄弟!」でも小一郎(秀長、仲野太賀)と慶(慈雲院、吉岡里帆)、秀吉(池松壮亮)と寧々(浜辺美波)など、特に夫婦間の場面がたびたび登場する。架空の人物だが、白石聖が演じた直と小一郎の初恋エピソードも話題になった。
ただし、時代は血で血を洗う戦国の世。武家にとっては同盟のための婚姻も日常茶飯事で、現代と異なり恋だの愛だのが入り込む余地はほとんどなかったのではないか。
戦国武将とその妻の間の純愛といえば、浅井長政とお市を思い浮かべる方も多いはず。あくまで初めは政略結婚だったけれど、愛し合い3人の娘にも恵まれ、夫婦仲はとても良好だった。だからこそ、小谷城落城による今生の別れの切なさが際立つ――。
時代は少し下るが、長政とお市と同等、いやそれ以上に相思相愛だったと思わせる戦国武将がいる。それが細川忠興夫妻。妻の「細川ガラシャ」の方が、一般的には知名度があるかもしれない。
文武両道の武将に嫁いだ美女
細川忠興は名門、細川家の出身。父・細川藤孝の代から信長に従っており、忠興の名も信長の嫡男・信忠から一字を拝領している。15歳の初陣以来、数々の戦場で手柄を立てた猛将として知られる一方で、茶人としても知られ教養も豊かな人物だった。父・藤孝同様に、文武両道の名武将といえる。
一方のガラシャは、明智光秀と妻・煕子の娘で三女。余談だが、光秀と煕子の夫婦も、戦国時代にはまれな相思相愛カップルだといわれている。煕子は結婚直前に疱瘡にかかり顔に跡が残ったものの、光秀は気にせず結婚。結婚後も、光秀が煕子の病気平癒の祈祷を行ったり、逆に光秀が重病に臥せた際、煕子が看病を尽くした、などの逸話も残っているほど。
細川ガラシャは、お市の方、京極竜子とともに「戦国三美人」と称されることもある。その悲劇的な生涯からややイメージ先行かもしれないが、美貌の持ち主だったことは間違いないと思われる。
二人が結婚したのは、1578(天正6)年8月のこと。忠興、ガラシャともに15~16歳。美男美女のカップルが祝言を挙げたのは、のちにガラシャの父・光秀が秀吉との決戦の際に拠点とした、あの城だった。

