アツすぎる忠興の愛情表現
話を忠興とガラシャに戻そう。勝龍寺城は細川家の居城だった。1571(元亀2)年、忠興の父、藤孝が大改修を行い居城とする。京の南西、大坂方面からの侵入を防ぐ要所として、信長の命を受けて大改修が行われたともいわれている。当時としては最新の建築である天主(天守閣)もあった。
忠興とガラシャがこの城で祝言を挙げたのは、父・藤孝の城だったから。以来、約2年間を二人はこの城で過ごしたという。
忠興とガラシャの相思相愛エピソードとして、江戸時代に広まったものだから真偽は不明だが、最も有名な話がある。それは、庭先で2人が食事をしていた折、「ガラシャと目が合っただけの庭師に忠興が激昂し、刀で斬りつけた」というもの。
いかにも猛将・忠興の熱愛を象徴しているようにも思える。このエピソードがいつ頃のものかは不明だが、新婚時代を過ごした勝龍寺城では? と想像してしまう。
この話には続きがある。目の前で突然起こった惨劇にガラシャは全く動揺せず、黙々と食事を続けたとか。さらにその時に汚れた着物を数日間、着続けていたそうだ。後世に広まった逸話だが、忠興の「蛇のような女だ」との言葉に「鬼の女房には蛇がお似合いでしょう」と返したというガラシャ。この夫にしてこの妻あり。ともに表現は特異だが、深い愛情にあふれていたことを伝えるかのようなエピソードだ。
運命の分岐点は本能寺の変
1580(天正8)年、丹後国(現在の京都府北部)の南半分に領地を得た父とともに、忠興は勝龍寺城を去る。そして2年後に本能寺の変。忠興、ガラシャの運命はここから波乱含みとなる。
ガラシャは光秀の娘。藤孝・忠興父子のもとには光秀から援軍要請が来るが、「信長の喪に服す」と称しボイコット。さらにガラシャを領内の僻地、味土野に幽閉してしまう。結果的には、細川家の読みどおり、光秀が敗れ秀吉の天下に。
細川家は辛くも家名を残し、忠興が当主となる。が、ガラシャは逆賊・光秀の血をひく者として、世間からは白い眼で見られ続けた。その苦悩もあったのだろう。洗礼を受けクリスチャンに。「ガラシャ(Gratia)」とはこの時に得た洗礼名で、本名は「玉」だった。


