なぜ光秀は城から打って出たのか

本丸内部に入ると、方形の曲輪の四方をグルリと土塁が囲んでいるのがよくわかる。水堀、土塁、そしてその上に櫓を設けて守りを固めている。

本丸の北東隅櫓
撮影=今泉慎一(風来堂)
本丸の北東隅櫓を本丸内部より。土塁の角に櫓が設置されている
本丸南西角の土塁上から
撮影=今泉慎一(風来堂)
本丸南西角の土塁上から。水堀と土塁の組み合わせがよくわかる

山崎の戦いでは、光秀はここからさらに南進し陣を構えたため、勝龍寺城自体は決戦の地にはならなかった。縄張図を見る限り、それなりに攻めづらそうな城ではあるが……。「兵力差もあり、籠城してもじわじわ負けに向かうだけ。ならば野戦で打って出よう」と光秀は決断したのだろうか。

本丸北門
撮影=今泉慎一(風来堂)
本丸北門。幾度も折れを伴っており、本丸で最も技巧的な構造

結局、野戦で敗れた光秀は勝龍寺城に駆け戻り、そこで最期の夜を過ごした後、城を捨て落ちのびてゆく。その途上で落武者狩りに遭い、あえない最期を遂げたのだ。