なぜ光秀は城から打って出たのか
本丸内部に入ると、方形の曲輪の四方をグルリと土塁が囲んでいるのがよくわかる。水堀、土塁、そしてその上に櫓を設けて守りを固めている。
山崎の戦いでは、光秀はここからさらに南進し陣を構えたため、勝龍寺城自体は決戦の地にはならなかった。縄張図を見る限り、それなりに攻めづらそうな城ではあるが……。「兵力差もあり、籠城してもじわじわ負けに向かうだけ。ならば野戦で打って出よう」と光秀は決断したのだろうか。
結局、野戦で敗れた光秀は勝龍寺城に駆け戻り、そこで最期の夜を過ごした後、城を捨て落ちのびてゆく。その途上で落武者狩りに遭い、あえない最期を遂げたのだ。



