「キャリアアップのためにスタバに行きます」
パート・アルバイトからも「正社員になりたい」という声が増え、正社員の家族が、「私もパートで働きたい」と申し出るケースも出てきた。
「過去、辞める方の理由は『キャリアアップのためにスタバに行きます』『新しい夢を見つけたので』というものが多かったんです。基本的に僕は『辞めないで』とは言わずに、『頑張ってね』と送り出してきました。でも最近は変わってきました。『この会社でもっとキャリアアップしたい。その環境を作ってください』と頼まれるんです」
ワークライフバランスを整えれば、誰もが機嫌よく、健康に働ける。だが、成長を続けたい従業員は、外に出ていく。その課題に、多田さんは正面から向き合うことになった。
「この会社でも夢を描ける、その環境作りがこれからは必要だな、と」
そう考えていた矢先、ある依頼が届く。
「当たり前」だと思っていた強み
そうして物語は冒頭、2026年4月、大丸梅田店の「D.baguette by parigot & DIA(ディー・バゲット)」オープンに戻る。
店を共同で起ち上げた安倍竜三さんは、大阪・上本町に店を構える世界的なパン職人だ。世界のコンクールで名前を売ってきた安倍さんのほうから、ダイヤに声がかかった。
「一緒にお店をやりませんか。ダイヤさんのパンって、実はすごいんですよ」
これを聞いて多田さんも、従業員も、ぽかんとしたそうだ。
「滅相もございません、というスタンスでずっといたんです。僕たちは大阪の日常のパンしか作ってこなかったパン屋なので。でも安倍さんは試作を重ねるごとに、『俺の目に狂いはなかった』とおっしゃってくださって」
「ダイヤは、四季の気温と湿度が変わる中でも、いつも同じ品質のパンを焼き続けている。それが強みだ」と安倍シェフは評価したという。
当の従業員たちは、それを「当たり前」だと思っていた。創業から80年の間、何度もふるいにかけられて底に残ったパンたち。その味わいをぶらさず、毎朝当然のように焼き続ける技術。気付かないうちにそれらは、世界に通じる水準になっていたのだ。
最近、多田さんは従業員から、こんな声を聞くそうだ。
「他の地域でもいけるんじゃないでしょうか」
「大阪のパン屋が京都に来たぞ、神戸に来たぞって言われるように、出店してみませんか」
「『私たちは大阪のパン屋です』っていう自負が、ちょっとついてきたんでしょうか」
そう多田さんは、照れたように笑った。
「大阪のパン屋」の夢は今、長く発酵したパンのように膨らんでいる。



