全国各地にあった銭湯が次々と消えている。ピークだった1968年の1万7999軒から、2026年には1493軒まで減った。ゆとなみ社代表の湊三次郎さん(35)は2015年、24歳で月20万円の赤字だった京都の「サウナの梅湯」を継承。その後も廃業寸前の銭湯を引き継ぎ、現在は10軒を運営し、事業を年商4億7000万円へと成長させた。もともと銭湯になじみのなかった若者は、どうやって銭湯を守り、新たな客と担い手を呼び込んだのか。フリーライターのマーガレット安井さんが取材した――。
ゆとなみ社代表の湊三次郎さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
ゆとなみ社代表の湊三次郎さん

隣は暴力団事務所、毎月20万円の赤字

「待てば、ほかにもいろいろあるから」

当時24歳だった青年が「銭湯を引き継ぎたい」と口にすると、近隣の銭湯の主人たちは、そろって引き止めた。

無理もない。彼には熱意こそあったが、銭湯を運営した経験はなく、経営を学んだこともなかった。しかも、引き継ごうとしていた銭湯は毎月20万円ほどの赤字だっただけでなく、当時は隣に暴力団事務所があり、地域でも「ヤクザ風呂」と揶揄された近寄りがたい場所だった。

しかし、それから約10年。その銭湯は月商83万円から月商1100万円までに成長した。銭湯の名前は「サウナの梅湯」(京都市下京区)。再生を手がけたのは、湊三次郎さん35歳。SNSでは「銭湯活動家」として情報発信をしている人物だ。

全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(全浴連)によると、銭湯はピークだった1968年には全国に1万7999軒あった。しかし、2026年には1493軒まで減少している。

こうした状況に対し、湊さんは「銭湯を日本から消さない」を掲げる「ゆとなみ社」を設立。廃業の危機にある銭湯を引き継ぎ、現在は京都市下京区の梅湯を中心に10店舗を運営し、2025年度の年商は4億7000万円に達した。

経営経験のなかった若者は、どのように一軒の赤字銭湯を再生し、他店舗へと広げたのか。その歩みをたどった。

サウナの梅湯(京都市下京区)
撮影=プレジデントオンライン編集部
サウナの梅湯(京都市下京区)

訪れた銭湯が次々となくなっていく

湊さんが銭湯にのめり込んだのは、大学生のころだった。

静岡県浜松市で育った湊さんにとって、スーパー銭湯は知っていても、地域住民が日常的に通う街の銭湯は身近な存在ではなかった。大学進学を機に京都へ移り住み、初めてその文化に触れた。

「地域の人が日常的に集まる場所って、地方都市には意外とないんですよ。だから、銭湯のような場所があること自体に驚きました。当時は仕組みすら知らなくて、毎日通えば月に1万円ほどかかるのに、地域の人たちが通い続けるのか不思議でした」

その不思議さに惹かれ、湊さんは京都の銭湯でアルバイトを始めた。やがて銭湯ファンのブログを読み、全国各地の銭湯を巡るようになった。旅先の店主と親しくなり、寝袋を借りて脱衣場に泊めてもらったこともあるという。

店主たちの温かさや、銭湯を巡る楽しさに触れる一方で、かつて訪れた店が次々と閉店していく現実も目の当たりにした。

「巡れば巡るほど、銭湯が次々となくなっていることにも気づきました。『あの銭湯にも行ったのに、やめてしまうんだ』と感じることが増えて、『もったいないな。なんとかならないのかな』と漠然と考えるようになりました」