生活費は月5万円、燃料費は半分に
初年度に自分の生活費として充てたのは、月5万円ほど。梅湯のロビーで寝泊まりし、店からほとんど出ない生活だったため、その金額さえ使い切らなかったという。
さらに、燃料費の削減にも着手した。当初は重油で湯を沸かしていたが、開業から約1カ月で、より安価な薪へ切り替えた。
「当時は解体業者とのつながりもなかったので、街中で解体現場を見つけて、『風呂屋をやっていて、木材が欲しいんです』と声をかけていました」
解体現場から出る3〜4メートルの木材を運び、チェーンソーで切る。重労働ではあったが、燃料費は重油の半分ほどに抑えられた。人件費と燃料費を削り、まず事業を続けられる状態をつくる。梅湯の再生は、売り上げを伸ばすことではなく、赤字を止めることから始まった。
コストを抑え、黒字化のめどは立った。しかし、問題は山積していた。
建物や設備は老朽化し、故障が相次いだ。「お湯がぬるい」「お湯が熱すぎる」といったクレームを受け、常連客から運営に細かく口を出されることもあった。若く経験のない湊さんは、その対応に追われた。
地域住民から嫌がらせを受けたこともある。
「チラシをハサミで細かく切り、生ゴミや爪楊枝などを混ぜて、梅湯の周辺にまかれていました」
「煙突、折れてくれへんかな」と願った
相次ぐトラブルに、湊さんは精神的に追い詰められていた。
「1年目は、だいぶ心が折れていました。もうやめたくてしょうがなくて、『煙突、折れてくれへんかな』とずっと思っていました」
それでも続けられた一因として、湊さんは自身の気質を挙げる。
「遠州の人は、関西の人から見ると少しぽわっとしているというか。僕も最初はいろいろ言われていたと思うんですけど、その意味が分からなかったんですよ(笑)」
相手の言葉に込められた反発や皮肉に気づきにくい、いわば「鈍感力」が、厳しい状況をやり過ごす助けになった。
さらに地域との関係も、一様ではなかった。
嫌がらせをする人や、若い湊さんの運営に反発する常連客がいる一方で、応援する人もいた。やがて梅湯の客のなかから、掃除や営業を手伝う「助っ人ボランティア」が現れ、その一部はアルバイトとして店を支えるようになった。
人手も増えて、土日に朝風呂を始めると、さらに客数も少しずつ伸びていった。
拒絶や反発を受ける一方で、客が店を手伝い、働く側へ回る。梅湯と周囲の人たちとの関係は、少しずつ変わっていった。
「もう少し続けてみよう」と踏みとどまるうちに、2年目ごろから徐々に手応えを感じるようになった。


