銭湯を知らずに育った24歳が手を挙げた

そうした思いを抱きながらも、大学卒業後、すぐに銭湯業界へ進んだわけではない。

仲のよかった名古屋市南区の銭湯「七福湯」の主人に進路を相談すると、「一度は社会人を経験した方がいい」と勧められた。店主自身も、会社員を経験した後に家業の銭湯を継いでいた。銭湯の世界に入る前に、一般企業で働き、外の社会を知っておいた方がよいと考えていたという。

その言葉に納得した湊さんは、アパレル会社に入社した。しかし、約10カ月で退社を決意。次の勤務先は決めていなかったが、いずれは東京などの繁盛店で修業を積み、30歳ごろに独立できればと考えていた。

そんな折、2014年末、学生時代にアルバイトをしていた梅湯が廃業するという話を耳にした。当時、梅湯を運営していた社会福祉事業団が、事業から撤退することになった。湊さんは関係者に、自ら引き継ぐことはできないかと申し出た。

「仕事を辞めて、銭湯に関わる仕事をやろうと思っていたんです。それで梅湯を借りられないか聞きました。それでオーナーに会わせていただき、交渉したところ、『君に賭けてみよう』と言ってくださったんです。今から思えば、オーナーもすごいなと思います」

かつて銭湯という文化さえ知らなかったヨソ者の挑戦が始まった。

入口では「入浴のお約束」がイラストとともに紹介されている
撮影=プレジデントオンライン編集部
入り口では「入浴のお約束」がイラストとともに紹介されている

「自分が無限に働けば人件費はゼロ」

社会人経験はわずか10カ月。銭湯を経営した経験もゼロだった。しかも梅湯の隣には指定暴力団の事務所があり、毎月約20万円の赤字を出していた。京都の銭湯関係者からは、「なぜ、よりによって梅湯なのか」と反対されたが、湊さんは、むしろそこに可能性を感じた。

「集客が不足している。老朽化している。地域環境も悪い。銭湯がやめていく理由が全部そろって、そこでど素人の若者が成功できたら無敵やんと思ったんです」

現在では「若気の至り」「ノリと勢い」だったと振り返る。そして、実際に働き始める前から、銭湯の仕事の厳しさを思い知らされた。

梅湯を始める直前、湊さんは名古屋の七福湯で約1カ月間、住み込みで修業した。朝10時から浴室を掃除しながら湯を沸かし、午後2時に開店。夕方以降は深夜12時まで番台に立ち、閉店作業を終えて眠る。定休日にも掃除があり、休みはほとんどなかった。

「これはヤバい業界に来てしまった」

そう感じながらも、湊さんは2015年5月5日、梅湯の営業を始めた。

梅湯を引き継いだ当初、1日の客数は60〜70人ほど。スタッフを雇い、適正な人件費を支払えば、毎月20万円近い赤字が出る状態だった。

そこで湊さんが最初に考えたのは、スタッフを雇わず人件費を限界まで抑えるという、力ずくの方法だった。

「自分が無限に働けば、人件費はゼロになると考えて、一人で銭湯を営業していました。寝て食べるくらいの最低限の生活ができれば、3年間は梅湯のために頑張れる。そのつもりでやってみようと」