「300万円の事業検証資金は出たけど、給料はゼロっていう段階で辞めたので、そこから出資が決まって手続きが終わるまでの8カ月は無収入でした。最後のほうは毎日ふりかけのおにぎりを作っていました。このときが一番しんどかった」
結婚して1年半ほどの妻・怜伽さんがいたにもかかわらず、である。さらに周囲の反応も厳しかった。
「グリコを辞めるって言ったら同僚からは『湯葉を使ってやるの? マジで?』ってなかば呆れられたし、母親は意味不明の一点張りで、正直かなり反対されました。妻より母親のほうが強く言ってきたぐらいで。それで妻とは約束しました。大型出資が決まらなかったら、サラリーマンに戻って借金を返すわ、と。『それでいいんじゃない』ぐらいの反応でしたね」
もう一つ筆者が気になったのは、これまでのキャリアを手放す決断に、迷いはなかったのかということだ。渡邊さんは「昔は学歴とか経歴とか、すごく気にしていました」と打ち明ける。それを変えたのが、大学院生の時に受けた扁桃腺手術(先述)のあとに彼を襲った出来事だった。
「学歴、キャリアはどうでもいい」
「手術の影響で自律神経を崩して、2カ月ぐらい高熱が下がらなかったんです。教授に一旦研究を止めて休んだほうがいいと言われて。その休養期間にタイに行きました。ジャングルを歩いたりゲストハウスを泊まり歩いたりしているうちに、日本人の女性2人組と知り合って。彼女たちは日本でキャバ嬢をしていたけど、辞めて旅をしていました。
僕のお金が尽きてからは、彼女たちのYouTube動画の編集を手伝う代わりにご飯をおごってもらうような生活をしていました。それを経験してから、学歴とかキャリアとか、正直どうでもよくなりました。どう生きてもいいんや、って思うようになったんです」
彼は全くといっていいほど、キャリアに執着を持っていなかった。周囲の心配をよそに退職し、早速出店エリアの調査を始める。なんと怜伽さんを大阪に置いて、単身で東京に向かった。
渡邊さん曰く、妻自身も多くの挑戦をしてきた人だそう。何かに挑もうとする人の気持ちが、説明されなくても伝わっていたのかもしれない。怜伽さんは「何とかなるでしょ」と彼の決断を見守った。もっとも「あのときは寂しかった」と言われたそうだ。そりゃそうだ。
あえて京都を外し、東京・表参道へ
出店場所を決めるに際し、渡邊さんは湯葉のお膝元である京都をあえて外した。
「建物の高さ制限があって、オフィスワーカーが縦じゃなく横に広がってしまうし、商圏も狭いんです。それに、京都まで湯葉を食べに来る人はクラシックなものを求めているから、新しい湯葉はむしろ入りづらい」
大阪での試験販売を経て、最終的に東京・表参道に店を構えたのは、家賃こそ高くても、オフィスワーカーだけではなく、エステやジムなど健康に気を遣う人が訪れる店が近くに多かったからだ。


