上手に空気をつくれる人は、どんな言葉遣いをしているのか。「話し方」の指導者に聞いた──。

何気なく使っている言葉に問題が潜んでいる

「空気を読む」という言葉は、いまではすっかりネガティブな意味合いを帯びるようになりました。しかし私は、空気を読むことそれ自体は重要なことだと思っています。

相手の発言内容に耳を傾け、表情や言葉選びを観察し、相手の立場や関心事を理解したうえで、自ら発言、行動する。こう定義されるとしたら、空気を読むとは本来、相手を慮ることであり、コミュニケーションの土台として欠かせないものだと言えます。

一方で、空気を読むことが当たり前になると、苦しさを感じたり、コミュニケーションに問題が生じたりするケースがあることも事実です。

私たちが普段何気なく使っている日本語には、空気を読むように強いられる構造的な問題が随所に潜んでいます。

主語を言わなくても会話が成立してしまう文法。あまり息を使わず、口先だけでボソボソと発話できてしまう発声構造。文末まで結論を先送りできる文章構成。その場の「空気」に決定を委ねることを、システムとして許容してしまう言語でもあるのです。

かつての日本は、集団の同質性が高い「みんな一緒」の社会でした。同じ教育を受け、終身雇用が当たり前で、多くの社会的・文化的前提が共有されていたので、言葉にしなくてもコミュニケーションが円滑に進む土壌がありました。しかし現代は、生まれた場所や育った環境、受ける教育、接するメディアが人によって違います。日本でも転職は当たり前になり、様々な生き方が受け入れられるようになって、価値観が多様化しました。

「言わなくてもわかる」から「言わないとわからない」へ。前提となる常識や背景が異なる人々が集う現代において、日本的なOSは致命的なバグを起こしています。「言わなくてもわかるはず」という期待は裏切られ、曖昧な言葉は誤解を生んでしまいます。

無自覚に日本語を使っていると、私たちは知らず知らずのうちにこの「落とし穴」に落ちてしまいます。日本的な「空気を読む」コミュニケーションはどのようにして起こり、どのような落とし穴があるのか。どうすれば乗り越えられるのか。日本語の構造にも注目しながら、5つの場面を通して考えてみましょう。

責任逃れに利用される日本語の曖昧な表現

落とし穴① 誰の意見なのかわからず「空気」で決まってしまう

あなたの職場に、こんな人はいませんか。何かを提案する際、「私はこの企画がいいと思います」と言わず、「世の中の流れ的に、この企画が当たりそうです」「社会はいま、これを求めているようです」と話す人……。

自分の意見であるにもかかわらず、世間や会社、みんなといった大きな主語にすり替え、まるで客観的な分析結果であるかのように語る。これは、ビジネスの現場で頻繁に行われている責任逃れのテクニックです。