オーナー社長が抱く強烈な危機感
「おまえのせいで株価が下がるんじゃ!」
2001年6月、私の社長就任を承認していただく株主総会当日の朝、前社長の高原慶一朗は仁王立ちになって私を指さし、こう言い放った。
この出来事をある人に話すと「お父上はあなたを育てようと思っておっしゃったのでしょう」という言葉が返ってきた。その言葉を私はあえて否定しなかったが、実際はそんなものではなかったと思う。自分が必死でつくり上げた会社をこいつに潰されてたまるか。そんなオーナーとしての強烈な危機感、オーナーのもつ本質からほとばしった言葉だったのではないだろうか。
ユニ・チャームは11年2月、創立50周年を迎えたが、私が社長に就任した当時は制度も雰囲気も現在とは異なり、高原慶一朗というカリスマ経営者の力で、田舎の建材メーカーから生理用品・紙おむつのメーカーへと変化を遂げた、いわばベンチャー企業だった。求心力が存在するがゆえの強烈な一体感。それが弊社の最大の強みだった。
一方で、ゆきすぎた経営多角化と国内市場の競争激化により、経営は壁に突き当たっていた。創業以来、業績は右肩上がりだったが、00年、01年と2年連続で営業利益が減少していたのである。多角化経営の縮小や指示待ち体質の社風を変えることが急務だったが、変革を断行すれば、最大の強みである一体感が瓦解するリスクがある。変革を進めつつ、前社長のカリスマ性に代わる何か、すなわち「求心力維持のためのシンボル」を早急につくり上げる必要があった。
私が新たなシンボルに不可欠だと考えたのは、「たとえベタでも、誰にでもわかるエモーショナルなもの」という要件だった。戦略フレームなどコンサル用語を駆使した難解なものではなく、現場で仕事をする社員が素直に共感できるシンプルな仕掛けである。
最初に着手したのは、CI(コーポレート・アイデンティティ)だ。新しい会社のシンボルマークをつくり、「アジアでナンバーワンの吸収体メーカーになる」という新たな経営ビジョンを掲げた。企業としてどうありたいかという夢や願望を含んだ、文字通り誰にでもわかるベタなビジョンである。
CIに続いて、本社の移転、組織体制の改革、プロジェクトや研修の参加者に与える特別なバッジの導入など、段階的にではあるが、多くの変革を進めていった。中途半端では改革は前進しない。すべてを変えなければ変革の実はあがらないのだ。