売れている商品をなぜ手放したか

JTB社長 田川博己氏

私が入社した1971年当時は日本の海外旅行者数が年間100万人に満たない時代で、旅行業自体がまだベンチャー的な産業だった。それでも日本交通公社(現JTB)は業界最大手であり、バスや鉄道の切符を売って商売しているような時代だから保守的な空気が強かった。それゆえリーダー像も、大きな組織をいかにバランスよくまとめるかを問われていたように思う。

そんな私のリーダー観が変わる大きな節目となったのは、93年に海外旅行営業部の次長になったときだ。当社は80年代から高級路線のメーンブランド「ルックJTB」と、より手頃なセカンドブランド「パレット」の2本立てで旅行パッケージを売ってきた。しかし、90年代に海外旅行が大衆化し、年間旅行者数が1000万人を突破。毎年100万人単位で増えるような状況下にありながら、売り上げは伸び悩んでいた。それも看板ブランドのルックJTBのほうが売れないのだ。

マーケットが大きく成長するときは、上と下の二極化ではなくミドルゾーンが拡大する。それを見越して我々はブランドをルックJTBに一本化する「モノブランド戦略」への転換を決断した。どちらかのブランドを選ぶなら上質なほうを残そう。そのほうが社員が自信と誇りをもって営業できると考えたからだ。しかし反発は強かった。

「一番売れているパレットをやめるなんてとんでもない」という声は役員からも現場の支店長からも聞こえてきた。

経営陣への説明のため、私は1人、次長の立場で役員会に出席した。マーケットの将来性からモノブランド戦略の有効性、ルックを大衆化するためのプロモーションの具体的な方法論まで、膨大なデータをもとにプレゼンして、役員に理解を求めた。

新生ルックJTBのプロモーションにあたり、我々はまず当時2大ブランドで60万ほどだった販売数を「3年間で100万人にする」という目標を掲げた。組み合わせるプランも充実させ、「地球くん」というわかりやすいキャラクターをつくり、社内および提携会社の販売員にまで、ルックに一本化した理由と商品戦略について何百回も説明会を重ねていった。