マルクスの考えを説明しておきながら
フォルカー・キッツさんらは、著作タイトルにもある通り「仕事はどれも同じ」だと述べます。なぜなら、どのような職場でも上司は部下を拘束するものであり、どのような収入を得ている人物でも概してその収入には不満があるものであり、社会的地位を獲得した(皆がちやほやしてくれる)という優越感や「やりたいこと」をしているという興奮は慣れとともに醒めていくものであり、どのような職場でも顧客クレームのような悩みの種は尽きることがないためです。
では仕事への不満はどう解決されるのでしょうか。キッツさんらはこう述べます――「そのすべてを考慮せよ!」(キッツ・トゥッシュ、69p)。つまり、「さまざまな要素を少しずつ期待すれば、失望することはまれだろう。だがそうした要素のうち一つだけ取り上げて、それをとくに重視すれば、その一要素に対する期待は、達成できないくらい高くなってしまう」(73p)、だからすべてを考慮する必要があるのだ、と。このような、一つだけの動機を重視しない態度の維持をキッツさんらは「期待の危機管理」(75p)と呼んでいます。
このようなネガティブな感情の管理に加えて、キッツさんらはポジティブな考え方の習得も促しています。具体的には「『仕事があって、上司や同僚がいる自分の生活』を幸せと感じる」(174p)こと、「自己肯定(アファメーション)」(185p)することです。冒頭でも、「自分自身に注目しよう。自分の考えや動きに関心を持とう。そうすれば、いわば自力で自分を癒せるようになるのだ。それができるのはあなた自身だけである」(キッツ・トゥッシュ、11-12p)という文言がありました。このように、「そのすべてを考慮せよ!」と述べるキッツさんらも、最終的にはそのような考慮を行う自分自身の考え方の変革、つまり「仕事を変えるな、自分を変えろ」という結論にたどり着いているのです。
木暮太一さんの『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』における主張の基本線となるのは、カール・マルクス『資本論』の思想です。木暮さんは、現代の「しんどい働き方」(木暮、8p)は、資本主義経済の構造・仕組みから根本的に理解する必要があると述べます。そして、「現代の日本にいるかぎり資本主義経済からは逃れられない」(8p)とも述べます。
木暮さんの著書の前半では、私たちが「しんどい働き方」に陥ってしまう資本主義経済の構造について説明がなされます。木暮さんは、資本主義経済という企業中心の体制下で働いている以上、私たちは自分が生み出した利益に比べて格段に少ない報酬、つまり「成果を生むために費やした体力・精神力を『回復させる費用』」(174p)しか企業からはもらえないのだと述べます。そして、そのような状況下でただがむしゃらに働くだけでは、企業にいいように使われてただ疲弊し、しんどくなってしまうことは避けられないというのです。
さて、木暮さんは資本主義経済の構造と仕組みを説明したところで、映画『マトリックス』を引き合いに出しながら、「みなさんは、いま自分が住んでいる世界の『正体』を知りました」(179p)と述べます。そして次に、ただ必死に働くのは「間違った努力」(179p)なのだから、「新しい働き方・生き方」(180p)を目指すことを提案します。
ここで示される対案が「自己内利益」という概念です。その「方程式」は、「年収・昇進から得られる満足感-必要経費(肉体的・時間的労力や精神的苦痛)」(187p)として示されます。このうち前者の満足感については、キッツさんらと同様にやがて慣れて鈍化してしまうため、後者、とりわけ精神的苦痛に注目し、ストレスを感じない仕事を選ぶべきだと木暮さんは述べます。その理由は、「これは人によって大きく差があり、自分の考え方や態度、仕事の選び方次第では、世間相場よりも大幅に小さくすることが可能だからです」(217p)と説明されています。
私はこの木暮さんの提案に正直驚きました。というのは、マルクスの考えを滔々と説明しておきながら、最終的には「自分の考え方や態度」、つまり「自分を変えろ」というメッセージにたどり着いているからです。もちろん、木暮さんは極端に、自分の考え方が変わればすべてうまくいくと言っているわけではありません。しかしながら、資本主義体制の超克を目指したマルクスの主張を引きつつ、資本主義どころか自らの関わる労働環境の改善にすら触れず、「自己内利益」の調整を落とし所とする展開は、いささか驚愕してしまうものでした。
リンダ・グラットンさんの『ワーク・シフト』もこれに近しい展開を見せていました。グラットンさんは「テクノロジーの進化」「グローバル化の進展」「人口構成の変化と長寿化」「社会の変化」「エネルギー・環境問題の深刻化」といった巨視的な――少し意地悪に言うとやや通り一遍な――将来変化を概観したうえで、将来における働き方の3つの「シフト」に言及します。
そのシフトが端的に示されているのが、「仕事の世界で必要な三種類の資本」(グラットン、232p)についての言及です。第一の資本は「知的資本、要するに知識と知的思考力」(232p)として示されます。テクノロジーがますます進化し、グローバル競争もますます加速するなかで、ひとつの分野の専門知識でも、広く浅い知識でもなく、「いくつかの専門技能を連続的に習得」(233p)することが必要だとグラットンさんは述べます。
第二の資本は、「人間関係資本、要するに人的ネットワークの強さと幅広さ」(グラットン、233p)として示されます。端的なので引用すると、「そこには、生活に喜びを与えてくれる深い人間関係も含まれるし、さまざまなタイプの情報や発想と触れることを可能にする広く浅い人間関係も含まれるし(中略)未来の世界では、そういう人間関係を意識的に築く必要があると、私は考えている」(233p)というわけです。
そして私が興味深く思う第三の資本は「情緒的資本、要するに自分自身について理解し、自分のおこなう選択について深く考える能力、そしてそれに加えて、勇気ある行動を取るために欠かせない強靭な精神をはぐくむ能力」(234p)として示されます。そう、やはり自分自身の考え方、心の持ちようの重要性が示されるのです。第2テーマ「心」の回で、教育工学者・中原淳さんの「ポジティブ心理資本」という言葉を紹介しましたが、イギリスの経営学者であるグラットンさんもまた、内面のありようが成功やキャリアの資本となる社会の到来を論じているのです。
さて、今回の内容は非常に簡潔に整理できます。つまり、仕事の辛さやつまらなさは、どのような自己啓発書においても、自分自身の考え方、感じ方、性格――つまり「心」を変えることで解決できるとされていたのでした。次回はこのような解決法の有効性について考えてみたいと思います。