TOPIC-5 なぜ私たちはドラッカーを求めるのか
前回まで、日本における「ドラッカー観の系譜」をたどってきました。今回はそれを踏まえて、包括的な観点から近年の「ドラッカー(もしドラ)・ブーム」について考えてみたいと思います。
そもそも、なぜドラッカーはここまでの注目を集めたのでしょうか。基本的なこととして押さえておくべきなのは、ドラッカー・アンソロジーの刊行によって「つまみ食い」が可能になったこと、ドラッカーの知見が仕事術や自己実現の文脈へも活用されるようになったこと(これは当時のビジネス書の内容変化と軌を一にしています)、『もしドラ』のヒット、二匹目のドジョウを狙って関連図書が陸続するような近年の啓発書制作事情といったものです。
他にも、『もしドラ』担当編集者の加藤貞顕さんが「08年ごろまでと比べ、直接的なノウハウ本から、もっと本質的な『考え方』を扱う本へ需要が移り始めていた」と述べるような啓発書のトレンドも考えられます(『日経トレンディ』2010.7「お手軽ンルン 心理にアピール」)。トレンドについてもうひとつ言えば、出版マーケティングコンサルタントの土井英司さんが述べる、「古典のリパッケージ」というトレンドもありそうです(『プレジデント』2011.1.17「ドラッカーの次に読むべき経営書は」)。
とはいえこれらはすべて、出版動向に関する解釈で、ドラッカーの著述内容からブームの背景を考えようとするものではありません。そこで以下では、ドラッカーの著述内容から、ブームの背景について考えてみたいと思います。
このことを考えるにあたって、上田惇生さんの端的な言及を引くことから始めたいと思います。上田さんは、ドラッカーが必要とされる背景についてこう述べます。「もちろん、『最近世の中おかしいから』である。『ドラッカーさんならヒントをくれそうだから』である」(『経営センサー』2010.7・8「『今なぜドラッカー人気か』を問うことが、今なぜブームになったか」)。上田さんは別の記事では、「経営内容、社会とのつながり、そういう全体を知って企業活動をする必要がある。そういう努力をしない人が経営に当たるからおかしなことになる」とも述べています(『AERA』2010.11.1「リーマン・ショックの教訓 その『答え』がある」)。
今の世の中、特に2008年のリーマン・ショック以後の世の中がおかしい、そして企業の活動もおかしい(営利ばかりを追求するようになっている)、だからドラッカーが求められるのだというのです。つまり、今日の社会、あるいは企業倫理の「退廃」と、それに対するドラッカーの「処方箋」という構図が設定されているわけです。