人生、山あり谷あり。経営学の泰斗・ドラッカーの人生も、最初から順風満帆とはいかなかった。ドラッカーが送った貧乏時代を気鋭のコンサルタントが掘り起こす。
本を買うことすらできなかった
P・F・ドラッカーは、組織の経営や管理に関する新しい概念を生み出した功績から「経営学の父」と称され、20世紀における最も偉大な思想家の一人である。
ドラッカーの人生にも貧乏な時代が二度ほどあったと言われている。一度目は高校を卒業後、ドイツの毛織物商社の見習として働くかたわら、夜間の大学に通っていたときだ。その頃の彼は現在の価値で年収3万ドルに満たない給料をやり繰りしながら、将来のための自己投資を行っていた。
当時は、大学生に対して売れ残ったオペラなどの鑑賞券を無料で配布していたり、ユースホステルに無料で泊まることができた。また本を買うことすらできなかったドラッカーは、図書館に通い詰めて知識を蓄えたことがわかっている。行政が提供する無料のものを最大限に利用したのだ。
二度目の貧乏時代は、イギリスの金融業界で働いていた頃、金融の世界に違和感を抱き、もっと人間の本質が知りたいという思いから、職を辞して、アメリカに渡ったときだ。結婚を機に27歳でアメリカに移住したドラッカーだったが、定職はなく女子大の非常勤講師やヨーロッパに対しての経済レポートを提出して細々と暮らしていた。それでも、彼は腐ることなく将来の目標に向かって執筆活動を行っている。
「成長には準備が必要である。いつ機会が訪れるかは予測できない。準備しておかなければならない。準備ができていなければ、機会は去り、他所へ行く」と、ドラッカーは自著『マネジメント』で書いている。今できることは何か、やらなければならないことは何かをきちんと見据えて、着々と自分にしかできない分野をつくっていった。