文化遺産の継承という役割が疎かになる

単に、PISA型学力に対応しなければならない、といった場当たり的な出題では、予備校的な受験対策で簡単に見切られてしまい、生徒はそのマニュアルだけを覚えていくことになっていくかもしれません。あるいは学校現場も共通テストの出題をにらみながら、より得点を取りやすいよう教える中身をシフトさせていく、といった可能性もあります。それでは、本当に日本語能力を高めるのとは、むしろ逆行することになります。

漱石や鴎外のような文豪の作品、あるいは『源氏物語』や『枕草子』のような古典的な作品は、作者の人格の大きさ、文学世界の広さから来る「凄み」があります。現代的な話し言葉に近づいた文章ばかりが教科書に載るようになると、離乳食のようになってしまいます。ましてや、契約書のような、誰が書いたかもわからないような文章ばかりを読まされるようになると、国語が担ってきた文化遺産の継承という役割がきわめて疎かになる。そこを、私はいちばん危惧しています。

国語力を高めるためには、「文は人なり」を実感できるテキストが大切なのです。

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