日本の学校教育はどこに問題があるのか。解剖学者の養老孟司さんは「子供を椅子に座らせ、暗記で知識を詰め込む教育はもうやめたほうがいい」という。エコノミストの藻谷浩介さんとの対談を収録した新刊『日本の進む道 成長とは何だったのか』(毎日新聞出版)から一部を紹介する――。
養老孟司さん・藻谷浩介さん
写真提供=毎日新聞出版
養老孟司さん(右)・藻谷浩介さん(左)

なぜ日本では「読み書きそろばん」というのか

【藻谷浩介(以下、藻谷)】日本の英語教育は、発音能力、会話能力、ディベート能力を鍛えません。だから学校で教える英語は意味がないという意見は少なくありません。先生からみるとこの辺りはどう思いますか。

【養老孟司(以下、養老)】学校で何年も英語を習っているのに英語がちっとも上手にならない、しゃべるのが上手にならないと言われますが、そんなことは当たり前でしょう。昔から日本では「読み書きそろばん」と言っていたように、「読み」が中心になっています。そのことを疑問に思った人はいませんでした。

ギリシアは二千年以上前からお金をとって弁論術を教えていました。しゃべることを教えて金になる国でしたが、読みが中心の言語は日本語の他にあるのでしょうかねえ。

「あの国ではできているのに日本では」などとよく言いますが、もともとそうに決まっていますよ。つまり、日本語を教えている段階で、何を教えているかがわかっていないのでしょうね。日本語を教えているということは、日本の文化そのものを叩き込んでいることです。

僕はそのことを漫画を例にして指摘してきました。なぜ日本で漫画が発達するかというと、日本語は音読みをするからです。漢字のもとは象形文字です、すなわち「漫画」です。それにいろいろな「音」を振るのが日本語の特徴です。

ニッポンの漫画は日本語そのもの

【養老】欧米の言語などは音が先にあってそれを表記する表音文字ですが、日本語は逆になっていて、ある意味のある図形があって、それに対して音を自由に振っていきます。その振った音が漫画の吹き出しです。だから吹き出しの中には難しい漢字を入れてはいけない。

アメリカの漫画を見ると吹き出しはセリフというよりもト書きになっていますが、日本の場合はト書きではなく、音と意味の文芸になっています。だから、僕たちが日本語を読むときには、仮名に対応する表音文字の部分と漢字に対応する意味の部分の二カ所の脳を使って、図形と意味を直結しているわけです。

国語の先生は「漫画を読んでいても字を覚えてないからだめだ」と言いますが、僕は、漫画は日本語そのものだと思います。つまり、日本で国語教育をすると漫画寄りの訓練をしていることになります。日本で平安時代から漫画が成立するのは、音訓読みが成立したからでしょう。僕は長年そう言っていますが、あまり聞いてもらえません。