この数年、医学部の人気が高まっている。東京大学名誉教授の養老孟司さんは「偏差値が高いという理由で医学部を選ぶ学生が多いのだろう。それでは本末転倒だ」という。エコノミストの藻谷浩介さんとの対談を収録した『日本の進む道』(毎日新聞出版)から一部を紹介する――。
東京大学駒場キャンパス
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いい教育とは教育しないこと

【藻谷】何だか論語の問答みたいになってきましたが、先生のお名前は孟子にちなんでいるわけですから、弟子になった気分でどんどん聞きます。先生は、いい教育とは何だと思われますか。

【養老】小学生くらいなら何もしないことですよ。有機農業の不耕起と同じようにやったほうがいい。高等教育についても「教育」しないことです。東大の伝統は結局は「自分でやれ」と言うことです。モチベーションのある人が自分でやる、それを周りが手助けする。それだけですよ。

学校は、基本的に子供に好きなことをさせる場にして、大人は見守るだけでいい。「この学年ではこれを覚えなさい」なんてナンセンスだと思います。

【藻谷】たしかに、皆で同時に同じことを習って同時に覚えると褒められ、どうせあとで完全に忘れてしまうのにそのときには責められない。これでは何一つ血肉として定着しませんよね。

私は、当時はお受験勉強が盛んではなかった田舎で育ったために、そのころは受験に出ることのなかった日本地理や英会話やディベートの類に好きに注力できた幸運な人間でして、それがその後にどれだけ役に立ったことかと思うのです。

しかし大学で受けた法学の教育は、まさに同時に覚えて一斉に忘れるの典型で、苦痛でしかありませんでした。教養課程はとても面白かったのですが、専門課程の卒業には1年余計にかかりました。

偏差値の大学ランキングは意味がない

【藻谷】何でそんな大学のそんな学部に行ったのかと言えば、当時世に登場して間もなかったところの「偏差値」が高い学部であるがゆえに、通るというのであれば通っておけば、そういう数値を絶対視するような連中にも後々足元を見られずに済むだろう、という実に受動的な考えからでした。

その後ますます社会に深く浸透している、受験時の偏差値によるランキングはどう思われますか。

【養老】全く意味がないですね。あれは、いまの大学システム――同じ大学に入りたい人をどうやって選別するかという問題が生じてしまったために便宜的にやっているだけでしょう。だから僕は、現役の時に入学試験を通ったら卒業証書を出せと言っていました。そうすれば、本当に勉強したい学生だけがお金を払って残りの4年間学びますから。

【藻谷】卒業証書だけ欲しい人は入学したらすぐにもらう! それでも勉強したい人だけが残って勉強しなさいと。最高の皮肉のようにも聞こえますが、圧倒的に偏差値の高い東大医学部でずっと教授をされていた上でのご実感であり、つまり真実をついている。

私も、偏差値が基準の大学名で人を判断することは、本当に一切しないで生きています。ですが世の大半の人は、教育の主目的を偏差値による能力のランクづけみたいに思っている。

【養老】そう、それが日本的な教育の在り方だと思います。