2025年1月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト5をお送りします。社会部門の第4位は――。
社会部門では、中居正広氏やフジテレビの問題に関する記事が注目を集めました。『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)の著者・霜田明寛さんが中居正広氏の芸能界引退を発表した背景と、フジテレビとメディア報道の食い違いに“違和感”を指摘した記事が1位に。30年来のジャニーズファンという霜田さんの直言に、読者から大きな反響がありました。2位は、元テレビ東京社員・桜美林大学教授の田淵俊彦さんが、当時のフジテレビ社長に現役社員が抱く本音を取材。テレビ業界の構造的な問題に迫ります。3位は元関西テレビ社員・神戸学院大学の鈴木洋仁准教授が、スポンサー離れが進むフジテレビの「これから」を読み解きます。1~5位のランキングは以下の通りです。
▼第1位 だから中居正広はひっそり消えるしかなかった…「フジテレビ会見と週刊誌報道の食い違い」に抱く強烈な違和感
▼第2位 CMが「ACジャパン」になっていく…中居正広氏を起用し続けたフジテレビ社長に現役社員が抱く“強烈な違和感”
▼第3位 もはや「フジテレビ解体」の道は避けられない…元テレビ局員が考える「スポンサー離れ」が進んだ先に起こること
▼第4位 江戸時代の放火犯は「火あぶり刑」だったが…吉原を全焼させた「14歳の遊女・姫菊」が受けた"刑罰"
▼第5位 「フジテレビの疑惑」は氷山の一角である…女子アナがいまだに「大物芸能人の接待」に利用される本当の理由
11年に1回のペースで全焼した吉原
吉原は公許の遊廓であり、火事で全焼するなどして営業できなくなった場合、妓楼が再建されるまでのあいだ、250日とか300日とか期日をかぎって、江戸市中の家屋を借りて臨時営業をすることが許されていた。
これを仮宅といったが、住人の側からすると突然、隣に妓楼が引っ越してくるのと同じである。仮宅ができた地域は一夜にして遊里に変貌した。
木造家屋が密集していた江戸は火事が頻発したが、吉原もしばしば火事に見舞われた。
明暦3年(1657)に千束村の地で営業を開始して以来、明和5年(1768)4月の火事を皮切りに、幕末の慶応2年(1866)11月の火事まで、合わせて18回も全焼している。
営業を始めてから明治維新までの約210年のあいだ、およそ11年に1回の割合で吉原は全焼した。驚くべき頻度である。そのたびに仮宅となった。
必須のガイドブック『仮宅細見』
仮宅が許されたのは浅草、本所、深川など、もともと岡場所があったり、料理屋が多いなど、歓楽の地だった場所が多い。
妓楼は許可された地区の料理屋、茶屋、商家、民家などを借りた。いちおう妓楼用に改装するとはいえ、にわか造りである。
とうてい本来の妓楼の豪壮さはない。張見世をするところもあれば、しないところもあった。また、張見世をする場合でも清掻(三味線によるお囃子)はなかった。
仮宅になるとさっそく『仮宅細見』が売り出された。仮宅はあちこちに点在しているため、客にとっては必須のガイドブックだった。
手ぬぐいで頬被りをした細見売りが道のあちこちに立ち、
「仮宅細見の絵図、あらたまりました細見の絵図」
と、声を張りあげ、売りさばいた。