結局、何が起きたのかわからないまま

中居正広が芸能界からの引退を発表した。これまでの多くの芸能人が、何かしらの過失をきっかけに引退や活動休止に追い込まれることはあった。だが、この件が特異なのは、実際に何が起きたのか中居本人も、被害女性も、そして社員が関与したとされるフジテレビも明らかにしないまま、中居への批判の声が高まり、引退にまで発展したということである。

フジテレビの港浩一社長は27日に二度目の会見を開き、自身と嘉納修治会長が問題の責任をとって辞任すると発表した。だが、肝心のトラブルの内容については「事件性はあったのか」という記者の質問に対し、被害女性のプライバシーも踏まえて「わからない」と繰り返すのみだった。

28日のやり直し会見に出席したフジテレビの港浩一社長
撮影=石塚雅人
1月28日のやり直し会見に出席したフジテレビの港浩一社長

なぜ、このような事態になったのか。問題をひもとく前に、かつてジャニーズJr.のオーディションを受け、ジャニーズの活躍を追った『ジャニーズは努力が9割』(新潮社)を書いた立場として、ジャニーズ事務所タレントとしての中居正広の存在意義を考えてみたい。

「ジャニーズ司会者」の先駆けだった

今やジャニーズ事務所のタレントが、バラエティ番組のMCをしたり、報道番組や情報番組に出演したりすることも珍しくない。その先駆者は中居である。歌番組冬の時代にあって、いち早くバラエティ番組に進出し、「サンデージャングル」(テレビ朝日系)といった報道番組の席にも座った。それは、後輩たちの仕事の幅を大きく広げていった。

後輩への配慮も欠かさなかった。Kis-My-Ft2がデビュー10周年を迎えた際には、白いマイクをプレゼントするなど、常に後輩を気遣ってきた。その対象は、事務所に所属し続けている者に限らない。中居は、赤西仁がジャニーズ事務所をやめた後も、人づてにお年玉を渡し続けたという。それは中居なりの「無関心じゃないよってこと」を伝えようとした行為だったといい、赤西も「寂しいときに救われた」と感謝を示している。(フジテレビ「まつもtoなかい」2023年12月17日放送)

また所属タレントのためなら、事務所の人間に進言することも厭わない人物でもある。Sexy Zone(現・timelesz)はデビュー当初5人だったが、事務所の意向により3人での活動を余儀なくされた時期があった。メンバーの菊池風磨らが“ガチ切れ”しても事態は動かなかったというが、ある日、事情を知った中居が事務所の“偉い人”に「Sexy Zone、5人でやらせてよ」と直談判。その後、5人で活動ができるようになったといい、松島聡は「恩人です」と語っている。(テレビ朝日「見取り図じゃん」2024年12月10日放送)