引退発表後に相次ぐ“手のひら返し”
その答えはわからない。だからこそ、ひとつのルールとして法律があり、それをもとに法治国家では罪を犯した者に対して罰がくだされる。しかし、刑事事件にならず、司法が認定しなかった罪に対して、世間の“空気”がその罰の重さを決めることになっている現状に大きな疑問を抱いている。
中居正広の引退発表後に、筆者のもとには、週刊誌などから「中居正広さんの芸能界における意義」や「SMAPの功績」といったテーマでの取材・執筆依頼を多く頂いている。これは、ジャニー喜多川の性加害疑惑の際にはありえなかった話である。筆者が本を上梓する際も、「ジャニー喜多川の功績を書くべきか」について、出版元の文藝春秋と慎重に協議を重ねたほどだ。
もちろん、中居に関しては、引退というトピックが乗っかっている、疑惑とされていることの期間や規模が違うという差はある。だが、ジャニーズ事務所がなくなるというタイミングにおいても、ジャニー喜多川のみならず「ジャニーズ事務所の功績を振り返る」ことすら許されなかった。
「何を世に出すか」も空気に委ねられている
今月25日に放送されたTBS系の情報番組「情報7daysニュースキャスター」でも、三谷幸喜がトラブルのあったとされる人物をVTRで振り返ることに疑問を呈していた。たしかに、過去の中居の輝かしい活躍の映像を見れば「この引退はもったいないことなのでは」という感情を喚起される視聴者もいるだろう。ジャニー喜多川の際はおどろおどろしいBGMなどで演出されるのが常だったが、その差はどこからくるのだろうか。
それは、メディアが世間の空気を読もうとした結果なのではないだろうか。
拙著を執筆する過程でも、ジャニー喜多川の功績を書くことは憚られるということで、2023年当時、性加害問題への対応が批判されていた当時の社長・藤島ジュリー景子の功績を記した章を書籍の中に入れようとしたが、それも当初は却下された。
原稿が完成してから、書籍の内容を調整する期間は約1年に及び、発売の約2カ月前になって、その章の挿入が許された。そのときに判断理由として告げられたのは「世間の藤島ジュリー景子を糾弾する空気が薄れたから」というものだった。自分の主張が通り、書いた原稿が書籍に収録されることにひと安心しながらも、「何を世に出して、何を世に出さないか」の線引きすら世間の“空気”に委ねられてしまっている現状に大きな懸念を抱いた。