吉原は徳川幕府公認の風俗街だったが、江戸市中には岡場所の遊女や夜鷹など、非合法の売春をする女性がたくさんいた。作家の永井義男さんは「江戸後期になると、遊女ではなく普通に暮らしている妻や娘で、ひそかに体を売る女が『地獄』と呼ばれて人気になった」という――。
※本稿は永井義男『江戸の性愛業』(作品社)の一部を再編集したものです。
町中で普通に暮らし「ひそかに売色する者」が「地獄」
地獄と呼ばれるセックスワーカーがいた。
『守貞謾稿』(喜多川守貞著)は「地獄」について――
坊間の隠売女にて、陽は売女にあらず、密に売色する者を云ふ。昔より禁止なれ、ども、天保以来、とくに厳禁なり。しかれども往々これある容子なり。
江戸地獄、上品は金一分、下品は金二朱ばかりの由なり。自宅あるひは中宿有りて売色する由なり。
江戸地獄、上品は金一分、下品は金二朱ばかりの由なり。自宅あるひは中宿有りて売色する由なり。
――と述べている。
つまり、町中に普通に暮らしていて、ひそかに売春に従事している女を地獄と呼んだ。
揚代は、上は金1分(編集部註:約1万5千円)、下は金2朱(約7500円)だから、かなり高い。セックスワーカーとしては高級と言えよう。客の男と性行為をするのは自宅、あるいは中宿と呼ばれる中継場所で、料理屋の2階座敷や、貸座敷などである。
図版1、春画の『古能手佳史話』(渓斎英泉画)に描かれているのは、料理屋の2階座敷であろう。男女が後背位で性行為をしている。
画中に「馴染みで地獄買いを楽しみにする人」とあるので、女は「地獄」である。男はしばしば地獄遊びをしているようだ。
料理屋の料金と、地獄にあたえる金を合わせると、かなりの額になろう。図版1の男は裕福なのに違いない。
料理屋や貸座敷が仲介し、素人女性が呼び出された
春本『開談夜之殿』(歌川国貞、文政9年)に、地獄が知人の女の家に行ったときの様子が描かれている――
「小母さん、さぞお待ちだろうが、聞いておくれよ。かの表のむずかしやが来ていたからね、また、なんだの、かだのと言うから、中通りの妙見様へ行くと言って、ようよう出てきました。連れ衆でもあるのかえ」
「なにさ、おめえが、連れ衆のあるお客はいやがんなさるから、連れ衆もなんにもねえ、おとなしいお店の衆だから、わざわざおめえの所へ行ったのだあな。さっきから待っていなさるよ。たったひとりで、酒を呑んでいなさるから、すぐに二階へ上がんなせえ」
「なにさ、おめえが、連れ衆のあるお客はいやがんなさるから、連れ衆もなんにもねえ、おとなしいお店の衆だから、わざわざおめえの所へ行ったのだあな。さっきから待っていなさるよ。たったひとりで、酒を呑んでいなさるから、すぐに二階へ上がんなせえ」
――という具合で、小母さんと呼ばれた女は、自宅の2階を中宿として貸しているようだ。商家の奉公人が伝え聞き、小母さんに地獄を呼んでほしいと頼んだ。小母さんは相手を見て、まずは2階に待たせておいて、地獄をしている女を呼び出す、という流れがわかろう。