※本稿は永井義男『江戸の性愛業』(作品社)の一部を再編集したものです。
吉原の花魁が身請けされ、優雅な愛人ライフを満喫する物語
囲い者とは、妾のこと。たんに「囲い」や、「てかけ」ともいった。
図版1は、画中に「志賀山、囲われている所」とある。
吉原の花魁志賀山が年季の途中、富裕な商人に身請けされ、囲い者となって暮らしている様子である。女中が志賀山に声をかける──
「お茶を入れ、おまんまにいたしましょう」
「なんぞ、おいしい物はないかえ」
──という具合で、志賀山は本を読みながら、のん気なものだった。
戯作『磯ぜせりの癖』(十返舎一九著、文化10年)の設定では、志賀山は女中ひとりと、下女ふたりの四人暮らしだった。
図版1の左の台所で仕事をしているのが、下女のひとりであろう。
身請けに大金がかかったのは言うまでもないが、妾宅を維持していくのにもかなりの金がかかる。
旦那である商人は、まず戸建ての家を借り、3人の奉公人を雇い、さらに月々の生活費も渡さねばならない。かなりの出費だった。
かつて、「妾は男の甲斐性」という言い方があった。逆から言えば、甲斐性のある男でなければ、妾など持てなかった。
図版1のように、吉原の花魁を囲い者にした旦那は、まさに甲斐性のある男と言えよう。
裕福な商人の「旦那」が求めているのは性的なサービス
いっぽう、囲い者になった志賀山にすれば、なんとも安楽な暮らしだった。
女中と下女がいるので、自分は家事労働や雑用はいっさい、しなくてよかった。
風呂に入り、化粧をし、あとは三味線を弾いたり、本を読んだりしながら待機する。旦那が来れば、性的に満足させてやればよい。旦那が求めているのはずばり、性的な快楽だった。
しかも、大店の主人ともなれば、店の業務全般に目を配らなければならないし、得意先や同業者との付き合いもあろう。また、本妻へ遠慮もあるので、とても毎日のように妾宅に来るなどはできない。
それこそ、たまに来るだけである。そのとき、旦那がとても本妻には望めないような、濃厚な性的サービスをしてやればよかった。
図版1のような囲い者はけっして戯作の誇張ではないのは、文政末から天保初期の世相を描いた『江戸繁昌記』(寺門静軒著)でわかる。なお、同書は漢文で記されているので、現代語訳して簡略に紹介する。