二流の「囲い者」は門や庭のない借家住まいだった

表通りからはいった新道にある、格子戸の仕舞屋に住まわせ、婆やひとり、下女ひとりを付けてやる──これは「中」である。

「上」になると、高い板塀で囲まれた門構えの家に住まわせ、庭には石灯篭と松の木があり、奉公人も複数人、付けてやる。こうした妾宅を維持するには、旦那の負担は1カ月に25両(当時の米価などで換算し150万円相当)を越えた。

図版1は、黒板塀で囲まれており、いちおう庭もあるようだ。また、奉公人は3人いる。「上」の囲い者の例といえよう。

なお、「下」については、後述する。

金のある男にとって月額150万円の出費は惜しくなかった

図版2は、画中に「湯上りに寄する囲者」とあり、夏の妾宅の光景である。

旦那は富裕な商人のようだ。この女も「上」の囲い者といえよう。湯から上がった旦那と囲い者は、縁側で涼しい風を受けながら、女上位の体位である茶臼ちゃうすでしている。

これこそ、高い金を出しても囲者を妾宅に住まわせる醍醐味だった。

というのは、自宅ではとても図版2のような行為はできない。女房子供のほか、多くの奉公人がいるからだ。それに、当時の日本家屋は防音効果が皆無に近く、プライバシーは守れなかった。

もちろん、妾宅にも奉公人はいるが、みな心得ているため、旦那と囲い者の房事が始まりそうな気配を見ると、気をきかせて湯屋などへ行く。あとは、旦那は妻とは日頃できないような性行為を妾として、思い切り楽しむわけである。

金のある男にとって、1カ月に25両の出費は惜しくはなかったろう。

裕福な商人と妾
図版2:裕福な商人と妾[渓斎英泉画『狂歌恋の道草』(部分)、1825年(文政8)ごろ、国際日本文化研究センター蔵]