NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」は江戸時代中期の吉原が舞台だ。産婦人科・感染症の医師で日本大学総合科学研究所教授の早川智さんは「当時の江戸市中には恐ろしい性感染症が蔓延していた。特に吉原などの遊郭の状況は酷く、三ノ輪浄閑寺の過去帳によると遊女の死亡年齢は平均22.7歳だった」という――。
『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 前編』プレスリリースより
画像=プレスリリースより

今年のNHK大河ドラマの舞台

NHK大河ドラマの影響か、江戸の遊郭である吉原が人気である。今までの大河ドラマは戦国時代と幕末動乱の時代が多く、江戸時代も赤穂浪士の討ち入りなど物騒な話だけだったが、昨年の紫式部(後半で刀伊の入寇などはあったが)に続き平和な時代が取り上げられたことの背景にはウクライナ、中東ときな臭い現実の世界があるのかもしれない。

遊郭といえば売春の場である。そう言ってしまうと身もふたもないが、かつて、皇太子時代の英国王チャールズ3世が王族を「人類最古の職業の一つ」と言って娼婦になぞらえたように、売春行為の歴史は古い。性的サービスの代償として金品を得る行為は洋の東西を問わず古代から存在したことは間違いないが、歌舞音曲などの芸能や神殿の巫女などとの兼業も多かった。

わが国でも宴席に侍る遊女や白拍子といった女性が春をひさぐことは珍しくなく中世から各地に遊郭はあったが、徳川時代、幕府の御膝元である江戸では、吉原に公認の遊郭が置かれた。当初は日本橋人形町にあったが、明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤に移転した。最盛期には3000人から5000人の遊女がいたという。

貧しい農村から少女たちが買い集められた

貧しい少女が全国から買い集められて、性愛のみならず歌舞音曲、和歌や茶道などの厳しいトレーニングを受けた。花魁と呼ばれる高級遊女を筆頭に美貌と教養を身に着けた遊女は現在のスターのような扱いを受け、なじみになって性的関係を結ぶには数回通って巨額の(現在なら100万円単位の)散財が必要であったという。

農業生産技術や物流が未発達で諸藩の福祉政策も無きに等しい当時、ひとたび凶作になれば餓死者が続出したという。農村で餓死するよりはと言って幼い娘を人買いに託すという悲劇は第二次大戦前の日本でも見られた(これが二・二六事件を起こした軍人たちのモチベーションになったことを思い出していただきたい。もちろんクーデターはもってのほかであるが)。

莫大な借財を背負って買われてきた遊女たちは、遊郭で教育係の女主人や先輩遊女のトレーニングを受け、12歳くらいで禿かむろとして見学を兼ねた先輩遊女の介助を手始めに17~18歳でデビューする。20代前半で十分な蓄財ができれば晴れて遊女を卒業して好きな男性と所帯を持つこともできたし、それ以前に豪商やお金のある武士に身請けされて妾、場合によっては正妻の座に就くこともできた。ただ、こういった幸運を手にしたのはほんのごく一部である。