アルツハイマー型の認知症がどんどん進んでいく老母。バセドウ病や喘息なども発症し、骨密度が減ってスカスカ状態に。母親の年金が少なく、娘は介護の合間を縫って働く派遣の仕事で稼いだ収入から月15万円を母との生活や介護に充てている――。(後編/全2回)
杖に手をかけて座っているシニア女性
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前編のあらすじ】近畿地方在住の高蔵小鳥さん(仮名・40代独身)はひとりっ子。40歳目前までいくつかの仕事を経験後、ずっと勤めたかったアパレル系の会社の人事に採用される。しかし直後、母親は認知症と診断され、それから半年も経たないうちに胃がんとわかる。母親の介護や病院の付き添いなどをこなしながら、仕事を続けていた高蔵さんだったが、ついに退職という決断を下した――。

離職と介護の両立

悩みに悩んで離職を決断した高蔵小鳥さん(仮名・40代独身)は、「今は、母親(79歳)を優先する」と心に決め、認知症を理解することに努めた。

「私は、元気だった頃の母との対話を取り戻すことを願っていましたが、現実は違いました。離職後、介護の日々はますます厳しくなり、私は母の日常的なケアに全力を尽くしましたが、それでも限界を感じることがありました。そして認知症の進行とともに、母はどんどん他人に依存するようになっていきました」

同じことを何度も聞かれることにうんざりすることは頻繁にあった。うんざりした様子を察したのか、母親は「子どもなんだから親の介護をするのは当たりまえ!」と言うこともあった。その一方で、まだ自分でトイレも食事も入浴もできたが、食べる順番や服を脱ぎ着する順番などを近くで教えないとできず、何もかもすぐに忘れてしまう。それでも母親は、「全部1人でできている!」と豪語した。

お金や時間を犠牲にすることを覚悟して介護の世界に飛び込んだ高蔵さんだが、してあげていることを全く認識されないことや一切感謝されないことは、やるせないことだった。

「離職と介護の両立は、経済的な負担も伴います。仕事を離れることで収入が減少し、生活費や医療費などの負担割合が増大しました。この状況は私にとって大きなストレスであり、不安と絶望感に苛まれる日々が続きました。しかしこの難しい状況の中で、私は多くのことを学ぶことができました。これまで私が母に任せっきりで、全くしてこなかった家の財政管理について、状況を把握することができたこともその一つです」

父親との離婚後、母親は全く働いておらず、わずかな貯金だけで生活していた。高蔵さんが実家に戻ってきてからは、高蔵さんが入れてくれるお金と貯金で生活しており、60歳からは国民年金が受給されていた。

「母は国民年金のみで、まだ老後が続くと考えると、私がお金を入れなければ、生活できない貯金額しかありませんでした。それを知った私は、国の制度や地域の支援ネットワークの重要性を学びました。そして、介護者としての役割を果たすことの尊さと責任を痛感。働いていたときは出張も多く、母と向き合う時間をあまり持ってこなかったのも事実です。認知症が進行する母との時間があまり残されていないことを痛感すると、介護離職は決して容易な決断ではありませんでしたが、その結果、私は母との貴重な時間を共有することができたので、良かったのだと思います」

当時を振り返ってこう話す高蔵さんだが、金銭面の心許なさと「このまま家にいては、社会に復帰できなくなるのではないか」という不安から精神的に疲弊し、離職から3カ月後に就職活動を開始した。

1 家から近い職場
2 残業があまりない職場
3 ある程度休みの融通が利く職場
4 肉体労働ではない職場
5 給与はひとまず生活する最低限でよい

という5点を考えた結果、初めて派遣という働き方に挑戦することにした。