長い目で見れば「楽観者」が成功する
Qあなたのおっしゃった、「富を密かに蔑む人から富は逃げていく」をくわしく説明してもらえますか?
人と比べる癖がつくと、自分よりうまくやっている仲間を憎んだり、うらやんだり、ねたんだりしてしまう。そしてそういう感情は相手に伝わるものだ。君が誰かと仕事をしようとするとき、相手に悪意や偏見を持っていれば、その思いは相手に必ず伝わってしまう。
人間は他人が心の奥底で思っていることを感じ取るようにできているんだ。だから人と比べることから抜け出さなくてはならない[※2]。
富を敵視していると、本当に富を得られなくなる。それはなぜかというと、富を得るのに適した考え方ができなくなり、富を得るのに適した気力を持てなくなり、富を得るのに適したレベルの人を相手にできなくなるからなんだ。
楽観的になろう、ポジティブになろう。これは大事なことだ。長い目で見れば、楽観論者のほうが成功する[※2]。
「サル」だった頃のゲームを続ける?
ビジネスの世界では、ゼロサムゲームをする多数の人にまみれて、プラスサムゲームをする少数の人が互いを探している。
人が人生で行う大きなゲームは2つある。1つはお金のゲームだ。お金があればすべての問題を解決するわけじゃないが、お金の問題はすべて解決する。人はそれを知っているから、お金を手に入れようとする。
でもそれでいて、多くの人が「どうせ自分は稼げない」と心の底で思っている。富の創造が起こってほしくないと思っている。だから「金儲けはけしからん。金儲けなんかすべきじゃない」と言って、ビジネス界全体を攻撃する。
でも実は彼らは地位のゲームという、別のゲームをしているだけだ。自分のほうが偉いということを他人にアピールするために、こんなことを言う。「お金なんか必要ない。お金なんか欲しくない」。地位とは、社会階層内での君の立ち位置のことだ[※1]。
富の創造は、進化的に新しいプラスサムゲームだ。地位のゲームは、古いゼロサムゲームだ。富の創造を攻撃する人は、たんに地位を求めているだけのことが多い。
地位のゲームはゼロサムゲームだ。これは非常に古いゲームだ。われわれがサルだった頃からやりつづけているゲームだ。序列を決めるためのゲームだ。
誰が1番なのか? 誰が2番か? 誰が3番か? そして3番が2番にのし上がるためには、2番を蹴落とさなくてはならない。だから地位のゲームはゼロサムゲームなんだ。
政治は地位のゲームの一例だ。スポーツもそうだね。誰かが勝つためには、誰かが負けなくてはならない。
私は地位のゲームは基本的に好きになれない。社会ではこのゲームが権力者を決めるのに重要な役割を果たしている。でも実は必要悪として仕方なく行われているだけだ[※1]。
問題は、地位のゲームで勝つためには、誰かを蹴落とす必要があることなんだ。
だからこそ、君の人生では地位のゲームを避けなくてはならない――怒りに満ちた闘争的な人間になってしまうからだ。誰かを蹴落として、自分や自分に似た誰かを持ち上げるために、君はいつも戦いつづけるはめになる。
地位のゲームはこの先もずっとなくなることはない。それを避けて通ることはできない。もしも誰かが君の富の創造を非難してきたら、それは君をおとしめることによって自分の地位を上げようとしているのだと覚えておこう。彼らは違う種類のゲームをしている。
そしてそれはひどいゲームだ。プラスサムゲームではなく、ゼロサムゲームなんだから[※1]。
くだらないゲームは賞品もくだらない。