安倍晋三氏は首相在任中、ロシアのプーチン大統領と27回の首脳会談を重ねていた。ウクライナ侵攻の際、なぜプーチン大統領との会談に臨まなかったのか。安倍氏が高校生の時から親交があったという鈴木宗男参議院議員は「外交は政府の専管事項。岸田首相のやり方に軽々しく口を挟めば、政権運営に影響を与えると配慮していた」という――。
2001年3月の森喜朗総理とプーチン大統領の会談に同行した安倍晋三氏と鈴木宗男氏。
写真提供=鈴木宗男氏
2001年3月の森喜朗総理とプーチン大統領の会談に同行した安倍晋三氏と鈴木宗男氏。

なぜ奈良に…いまでも私は信じられない

安倍晋三元総理のお通夜と告別式に参列しました。奥様の昭恵さんに「いまでも私は信じられない。信じたくない思いです」とご挨拶すると、丁重にうなずいて頭を下げてくれました。奥様のほうがもっと、そのような思いをされていたことは当然です。

あの日、私は小樽で遊説していました。11時39分に、電話で知らせが来たんです。返す返すも悔やまれるのは、選挙応援の予定が、前日になって長野から奈良へ変更になったことです。警備の隙を突かれたと言いますが、急に日程を変えたら、じゅうぶんな体制を取れなくても仕方ありません。

予定が変わった理由は、長野から出ていた候補者に関するスキャンダルが週刊誌に載ったことです。変更が誰の決定だったか知りませんが、選挙戦では、誹謗ひぼう中傷はよくあります。週刊誌の記事なんかで右往左往しちゃいけません。安倍元総理は予定通り長野へ行っていたら、あのような犯罪に巻き込まれずにすんだかもしれないんです。選挙の勝ち負けは本人の責任であり、本人の問題です。

駐日ロシア大使から電話「プーチン大統領から弔文が届いています」

まだ67歳でした。私は定期的にお会いしていましたが、体調は回復されて、顔色もよく元気いっぱいで、自信に満ちていました。

総理を辞任する理由となった持病の潰瘍性大腸炎は、新しい薬がよく効いているとおっしゃっていました。果たすべき仕事が、これから先もたくさんあったはずです。

翌日、駐日ロシア大使から私に電話がありました。「プーチン大統領より心のこもった弔意が安倍元総理のお母様、昭恵夫人に届いておりますので、安倍事務所のファクスと連絡先を教えてください」と言われました。土曜日だったため、私の事務所から大使館に連絡先を伝えました。