まだ当選2回の若手だった時でも、怯まずに筋を通してきた

当時は森喜朗内閣で、私は自民党の総務局長でした。党内の議論で「北朝鮮との間には拉致問題がある。人道支援であっても、そんな国に米を送るのはダメだ」と、真っ向から反対したのが安倍さんです。若手の議員は上の顔色ばかり伺ってモノを言わない中で、当選2回の安倍さんだけが怯みませんでした。筋の通ることを言うと思ったものです。

安倍晋三の名前が一般に浸透したのは、その拉致問題です。北朝鮮によって理由もなく連れ去られた人たちがいることを、世間に広く知られる前からいち早く叫んでいた政治家です。官房副長官だった2002年には、小泉純一郎総理と一緒に北朝鮮へ行き、被害者を初めて帰国させることに成功しました。

オバマ大統領に「日本には日本の立ち位置がある」と毅然と対応

2014年にロシアがクリミア半島を併合すると、欧米はロシアに対して制裁を始めました。アメリカのオバマ大統領は日本にも加担するように迫りましたが、総理大臣になっていた安倍さんは、「日本には北方領土問題がある。日本の立ち位置があるんだ」と話されました。日本が行ったロシアへの制裁は、独自の内容になったんです。

その翌年の12月28日、私は官邸に呼ばれ、安倍総理からこう言われました。

「来年からロシアをやりたい。ついては協力していただきたい」

わかりましたと即答すると、もう2つ提案がありました。「鈴木貴子さんを自民党で育てたい」というのが1つ目。「来年4月に町村(信孝)さん亡き後の補欠選挙がある。7月には参議院選挙がある。どちらも鈴木先生の応援がなければ勝てないから、よろしく頼みます」というのが2つ目でした。そのときから、私と安倍さんの蜜月はスタートしたと言っていいでしょう。

2001年3月の森喜朗総理とプーチン大統領の会談に同行した安倍晋三氏(左)。
写真提供=鈴木宗男氏
2001年3月の森喜朗総理とプーチン大統領の会談に同行した安倍晋三氏(左)。