晋太郎先生のご自宅で、まだ学生だった晋三さんと出会った
私は中川一郎先生の秘書だった若い頃、安倍元総理のお父上の晋太郎先生にずいぶんかわいがってもらいました。中川先生が自殺されたときは私に同情して、自分の秘書になれと声をかけてくれたほどです。晋太郎先生のご自宅へお邪魔する機会もあり、若き晋三さんにもお会いしています。
2016年の「新党大地・鈴木宗男と鈴木貴子を叱咤激励する会」というセミナーで、現職の総理だった安倍さんがこんな挨拶をしてくれました。
「中川一郎さんと私のおやじは、無二の親友でございました。しょっちゅうゴルフに行くにも、いろいろなところに出かけるにも、一緒でありました。そのときにいつもそばについていたのが、鈴木さんでありました。当時私は、まだ高校生や大学生くらいだったわけであります。中川一郎先生にも『晋三君、晋三君』とかわいがっていただきました」
ですから安倍元総理と私のお付き合いは、およそ50年に及ぶわけです。神戸製鋼に勤めていた安倍元総理は、お父上の晋太郎先生が外務大臣に就任したとき、サラリーマンを辞めて秘書官になりました。その頃から、また私とも頻繁に顔を合わせるようになりました。1991年5月に晋太郎先生が亡くなって以来、選挙区回りを始め、1993年の総選挙に出馬されたんです。
娘・貴子の結婚式で「夫婦円満の秘訣」を披露
挨拶の続きです。
「その後、私が初当選をいたしました。自民党の農林部会に出席をいたしましたら、鈴木さんが激しい議論を展開しているんですね。当時の自民党の農林部会というのは本当に激しい方が多くて、鈴木さんとか前の幹事長の武部(勤)さんとか。私はそこに出て、農林部会はもうあきらめよう、この激しい議論の中でずっとやっていくのは大変だなと思って、社会部会の方に移っていったことを今でも覚えているわけであります」
私の娘で自民党の代議士である貴子に関しては、ご自分を引き合いに出して、こう持ち上げてくれました。
「先般、参院選の時に初めて演説を聞きましたが、すごい迫力ですね。普通、私もそうですが、2世タイプというのはおっとりした人が多いのですが、貴子さんの場合は虎の穴で育った。鍛えられ方が違うなと思いました」
総理大臣は、党の派閥のパーティーには出ても、政治家個人のパーティーには出ないものです。キリがないからです。なのであのとき、わざわざ出席して、通り一遍ではないお話をしてくださり、感激したものでした。
同じ年にあった貴子の結婚式でも、スピーチをお願いしました。
「鈴木宗男先生をお父さんと呼ぶのは、大変なことです。新郎の勇気を買います」
と場を和ませてから、こうおっしゃいました。
「家庭の幸福は、妻への降伏です。これがわが家の、夫婦円満の秘訣です」
ハッピーとギブアップを重ね合わせて笑わせたのですが、「幸福」と「降伏」は、聞くだけだとわかりにくいでしょう。「降伏」と言うとき、安倍元総理はわざわざ万歳のジェスチャーをして見せたので、披露宴会場がドーッと湧いて大きな拍手を受けました。このときも、非常に人間味を感じさせるスピーチだったと感謝したものです。