21年前の首相就任時にも「密室」批判を受けた森氏

女性蔑視発言で東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長を退いた森喜朗元首相の後任選びは、橋本聖子五輪相の就任で落ち着いた。この間に何人もの「本命候補」が浮上しては消えた。橋本氏は、この要職の適任者なのだろうか。

衆院予算委員会を終え、記者団に囲まれる橋本聖子五輪・女性活躍担当相(中央)=2021年2月17日午後、国会内
写真=時事通信フォト
衆院予算委員会を終え、記者団に囲まれる橋本聖子五輪・女性活躍担当相(中央)=2021年2月17日午後、国会内

2月18日午後、組織委から「会長候補」となった連絡を受けた橋本氏は首相官邸を訪れ菅義偉首相に報告した。菅氏は「国民の皆さんに歓迎される東京大会になるように全力をつくしてほしい。国としてもしっかりサポポーとする」と橋本氏を励ました。この場で橋本氏は五輪相の辞表も提出した。

これで、組織委の会長を巡る混迷は一応の決着をみた。しかし、この間の混乱は例をみないものだった。

森氏の辞任が固まったのが2月11日。直ちに川淵三郎・元日本サッカー協会会長が後継会長の候補と報道された。同日夕には川淵氏自身も組織委会長就任を前提として報道陣の取材にも応じていたが、翌日に状況は一変。森氏が川淵氏に後継会長となるよう依頼した形となったことが批判され、「密室決着」とたたかれたのだ。

森氏は2000年、小渕恵三首相が脳梗塞で倒れた後、後継首相となった。当時幹事長だった森氏を含め自民党幹部5人が都内のホテルで極秘に会って決めてしまった。その時も「密室の擁立劇」と指摘された。否定的な報道とともに誕生した森政権は、国民の積極的支持を受けることはなく、翌01年4月に辞任するまで低支持率に苦しみ続けた。

森氏は政治家として頂点に上り詰めた時と、おそらく政治生活最後の大舞台から降りる時、「密室」批判を受ける皮肉な人生となった。